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9月のお寺の掲示板

9/1のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日のバスケの興奮冷めやまぬ中、今日から9月に突入しました。バスケワールドカップの方は、明日が日本の最終戦ということで、ここで勝てば文句なしのパリオリンピック出場権獲得になるそうです。負けても条件次第では、ということみたいですが、折角なので流れに乗ってスッキリと決めていきたいところです。


そんな明日の試合は20:10から。またしても子供達の寝かしつけ時間にバッチリ被る試合開始時刻ですが、妻と協力しながら何とか乗り越えようと思います。というか、前半で勝負がつくような、そんなドキドキしない試合展開なら安心して寝かしつけに専念できるので有り難いのですが。なんにせよ、頑張れ日本。


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9月のお寺の掲示板

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さて、今日から9月ということでお寺の掲示板を新しくしました。正確に言えば、明日新しくする予定で、今日書き上げました。ということで、写真を撮ったときはまだ少し墨が濡れている状態ですがご勘弁ください。


今月も少字数で攻めたいなぁと思いながら色々と言葉を探していました。本音を言えば二文字が良かったのですが良いものがなかなか見つからず、たどり着いたのがこの言葉です。『月光似鏡』と書いてありまして、そのまま訳すと『月の光は鏡に似ている』となります。


ただこれには前後の言葉がありまして、そこだけ抜き取っても何が何だかわからないかもしれません。引用元は菅原道真の秋夜(九月十五夜)という漢詩でして、そこの一句『月光似鏡無明罪』から持って来てみました。


菅原道真と言えば学問の神様として有名ですが(天神様、天神社、天満宮と呼ばれる神社には菅原道真公が祀られているとされています)、京から左遷されて太宰府に行くことになったそうです。権力の拡大を恐れられた結果だそうで、本人としては無念の思いがあったのではないでしょうか。


そんな思いの中書かれた漢詩がこの秋夜(九月十五夜)だそうです。年老いた自分を嘆き、田舎で囚われのみとなっている自分を憂い、我が身独りで過ごす秋を悲しんだ内容になっています。その中での一句『月光似鏡無明罪』は、鏡に似た月の光でさえも自分の無実を明らかにはしてくれない、という気持ちを表しています。古くから鏡は人の真実の心を映し出すという思想があるそうです。


そんな言葉を今月は選んでみましたが、作品自体触れてみますと、『似』をもう少し捨て字にしても良かったかなぁと思います。『鏡』も、へんとつくりが大体同じ大きさになってしまったので、へんをもっと捨てても良かったかなぁという感じです。


ただそうは思っても、それを反映させて書いてみるとまた色々と変わってくるもので、今回も何枚か書きましたが一番納得できるものを採用させていただきました。法善寺の掲示板には、明日から貼り出すことになりますので、お越しの際にはご鑑賞いただけると幸いです。一応、短めですが現代語訳も載せております。


本日もブログをお読みいただきありがとうございます。仲秋の名月が見られるでしょうか。



南無阿弥陀仏

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