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出来ないことと出来ること

1/23のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


早いもので1月も残すところあと一週間ちょいとなりました。今日から明日にかけて、日本全国がとても強い寒波に襲われるそうですが、例にもれず今日の東京も結構な寒さでございました。


そういえば、10月下旬に北海道にお邪魔した時、その時期でも東京もんからすると十分寒かったので、半分ジョークで『しばれますねぇ』と言ったら、『しばれるってのは、これくらいで使う言葉じゃないよ』と言われたのを思い出しました。ということで、東京ではしばれる寒さを体験できないとは思いますが、私からすれば今日も十分しばれる寒さでございました。風邪ひかないように気を付けます。皆様も、ご自愛ください。


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出来ないことと出来ること

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私は今年が年男、今は35歳です。高齢化が進む日本では若者扱いされますが、私が子供のころに見ていた景色からすれば、立派な中年男性です。幸か不幸か、お寺業界ではこの年で住職をされている方が少ないもので、そんな中にいるとついつい自分自身が若者の立場を取ってしまいますが、見誤ってはいけません。35歳はもう中年の大人です。


ただ別にこれは悲観しているわけではなく、その歳や自分の状態を受け入れることも重要だよな、と最近思ってきています。20歳の時みたいに動けないし、20歳の時みたいに短時間睡眠で乗り切れないし、20歳の時みたいにたくさん食べられないし、20歳の時みたいにすぐに痩せられない体になってきました。


出来ないことが増えていくのを実感して悲しくなることもありますが、出来るようになったこともたくさんあります。20歳の時みたいな人との接し方を思い出すと、今でも寒気がします。気が付かなかっただけで、周りの人にたくさん不快な思いをさせたはずで、よく友達を無くさずにここまで来られたなと思います。


そんな中で、出来ないこと、出来ること、それをきちんと見つめ直すことが、『老いる』ということなのかな、と最近思ったりします。生きている限り、自分自身から離れることは出来ません。出来ないことを悲しんでばかりいられませんので、出来ることを探し、出来ることを増やして、そこに喜びを感じられる人生にしていきたいですね。


そういう意味では、祖母が亡くなった時に感じた、『いま悲しい分、他でちゃんと喜べているのか?』という想いに繋がっていきます。憂いてばかりでは面白くありません。今年は新しいことにチャレンジして、出来る喜びを実感できる年にしていきたいと思います。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。ということで、最近はゴルフに熱を入れようかと思っています。



南無阿弥陀仏

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