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何を失い、何を得たか

11/7のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は書道教室に行ってきました。7月からなかなか通えていなかったのですが、10月からは順調に通えています。やっぱり行けば楽しくて、今月は再来週にもう一度行く予定です。


来週には書初めの提出が迫っています。写真の作品が現時点での取り置き分で、ここからこれ以上に納得できる作品が書けるのか、という勝負でございます。足掻ける所まで足掻いてやろうと思います。


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何を失い、何を得たか

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毎月書道教室では、競書という冊子を購入しています。今月の課題や先月の優秀作品が掲載されているのですが、一番冒頭に、創設者である大溪洗耳先生のコラムが掲載されています。


とは言っても、20年ほど前に亡くなられていますので、過去のコラムを掲載しているのですが、密かな楽しみとして拝読しています。1980年代のものなので今から考えると時代錯誤も甚だしいのですが、それがまた面白くて読み込んでしまっています。


最近のコラムでは、キャバレー通いに狂った男が、金、友人、社会的信用を失った結果何を得たか、というお話が続いていました。私が生まれるより前の時代感ですし、そもそも破天荒過ぎてついていけなくなることもあるのですが、これだけの奇人じゃないとあれだけの作品を生み出せないのかなぁ、とあまり良くない方向に影響されそうです。ちなみに得られたものは『情緒』だそうです。


そんなコラムの中で、たしか先月だったと思いますが、『人生は得るものと失うものの量は等しいのだから、若いうちは失うばかりのほうが良いのかもしれない』と書かれていて、面白い発想だなぁと感心してしまいました。


もちろんこれが正しいとは思いませんが、『何かを失わないと何かを得られない、何かを失えば何かを得られる』というのはポジティブな発想で結構好きです。


私も、体調を崩したり怪我をしたりしたときには、『治ったらめちゃくちゃ快適だろうなぁ』と思うようにしています。体調が良いときにはなかなか、『体調が良くて快適だなぁ』と思うことが出来ないものです。


人間、得たものには気付かず、失ったものには固執してしまうものです。ただ、何かを失ったということは何かを得たということだ、と捉えれば、何を得たのかを考えるようになります。意外とそれは失ったものよりも良かったりする、のかもしれませんね。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。とは言え、金、友人、社会的信用を失いたいとは思いませんが。



南無阿弥陀仏

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