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仏法毛穴より入る

6/5のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


お昼前くらいに、息子を寝かしつけるため自転車に乗せて上野をブラブラしていると、上野公園の噴水近くで屋台が出ているのを発見しました。『〇〇フェス』といった看板は出ておらず、色んなお店が雑多に出店してあったのでコンセプトは謎でしたが、楽しそうな雰囲気は感じられました。


色々やって夕方頃に、今度は家族全員で再訪し、見事生ビールにありつけました。昨日のブログの伏線回収みたいなオチですが、やっぱり昼間のビールは美味しいです。ちなみに写真は、哀愁漂わせながら噴水を見つめる息子です。


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仏法毛穴より入る

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現在進行系でお寺の建て替え計画をすすめています。今は実施設計という細かな図面を描く段階で、各部屋の展開図やら何やらをチェックしています。『ここの棚、奥行きあるけどこんな必要なくね?』とか『ここは思ってたよりもスペース取れそうだね、良かった』とか、そんなことの確認です。大変な作業ですが、作る方はもっと大変なはずですし、手を抜いて結局後悔するのはこちらなので頑張っています。


本堂は建替えませんが、お座敷や庫裏部分だって立派なお寺の一部です。お寺とはこうあるべき、という決まりは存在しなくて、極論いえば宗教行為をしていればお寺となるわけですが、やっぱりひと目見て『あぁ、お寺ですね』と思っていただく必要はあります。それは内装も外装もどちらもで、いわゆる人が想像する『お寺』からかけ離れすぎたものにはしたくないな、という思いがあります。これは設計士さんも同じ気持ちなので、今のところ大丈夫なはずですが。


こういった部分は、言葉にはしにくい分野になります。私も毎日ブログを書いたりしていますが、言葉では伝えられないことってたくさんあって、だからこそこの世界は面白いなぁと思います。例えば私は『ショーシャンクの空に』という映画が好きですが、何が好きなのかはよく分かりません。言葉に言い表せないけど、たまに見たくなる映画です。好きなシーンだっていくつもありますが(屋上でビール飲んでるとことか)、なんで好きなのかはよく分かりません。私の心のなにかに触れたんでしょう。


お寺の本堂も、入堂すると言葉に言い表せない感覚に陥るはずです。何となく緊張するし、大きな声で話すのは駄目なんじゃないか、という気持ちになります。お寺側としても、そういう気持ちになっていただくために荘厳を整えるわけですが、これをこうしたら良いみたいな明確なルールがあるわけでもなく、やっぱりそこも言語からは離れた世界なのかもしれません。


でもそういう、なんとなくの感覚を感じることはとても大事だと思います。『仏法毛穴より入(い)る』という言葉もありますが、五感では言い表せない感覚から仏法を感じる、ということが大切なんじゃないでしょうか。


こういうご時世なのでリモートというのも仕方ないのかもしれませんが、コロナが明けたら是非お寺に足を運んでほしいな、と思う今日この頃でございました。その日を楽しみに待ちながら、気を抜かずにお荘厳を整える毎日を送ろうと思います。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。なんだかんだ結局ビールなんですよね。痩せたい。



南無阿弥陀仏

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