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常識を疑え

3/26のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


なんとも生温い気温の一日でした。体調は全然悪くなかったのですが、どこかおかしいのかな?と思うほどの気温で、段々と春の訪れを感じています。上野公園の桜も見頃を迎えてるみたいです。


お彼岸が終わってからは、すっかりと春模様の天気が続いています。着るものに微妙に困る季節ですが、暖かくなったことを素直に喜びたいと思います。


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常識を疑え

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先日、年忌法要のあとにとあるお檀家さんから『ここのお寺は浄土真宗だから、みんなの分までお経の本がおいてあるんですね』と言われました。こちらとしては特にそんな意識もなかったのですが、確かに仰る通り、お参りの方も称えられるようにお経の本を置いてあるのは浄土真宗特有なのかもしれません。


もともと浄土真宗は、民衆のための教えとして広まっていきました。和讃も、そんな民衆の方にとってより分かりやすい形にするために、親鸞聖人が説かれたものと言われています。


また、たくさんの御文を残された本願寺8代目の蓮如上人は、『御同朋御同行』と説かれました。これは、みんな同じ仲間で同じ行を頂いている、という意味です。


そんな側面を鑑みますと、法要の際にお参りの方用にお経の本が置いてあるのは合点がいきます。みんなで一緒に、浄土真宗の教えをいただきましょう、ということなんですね。


今回のように、こちら側からするとあまり意識してないことでも、周りから見ると特殊なケースというのは多々あるものです。ある意味それが強みでもありますので、そういった部分を意識しながら普段の法務に務めると、また教化の部分で変わってくるのかもしれません。


俯瞰した視点で改めて浄土真宗を捉えるのは、とても大事なことですね。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。日々、常識を疑わないといけませんね。



南無阿弥陀仏

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