親鸞聖人の足跡を巡る旅 パート1

みなさん、こんにちは!

法善寺副住職の中山龍之介です。

更新が遅くなり、申し訳ございません。。。

明けまして、おめでとうございます(笑)

前回のブログ(の一番下の方)でご報告させていただきましたが、昨年の年末に10泊11日という時間をかけてお寺巡りの旅に行ってきました。親鸞聖人の足跡を辿るのが大きな目的でしたが、その他にも浄土真宗所縁のお寺や、他宗で有名なお寺にも行ってきました。結果45箇所、総移動距離1700kmを超える旅でした!そして何を隠そう、この旅のレポートをまとめていたら、こんなに日数が経ってしまっていました(笑)

ということで、本日から6回(+おまけ1回)に分けて今回の旅のご報告をさせていただきます!第一回は、『親鸞聖人の足跡を辿る旅 パート1』です。次に『真宗所縁のお寺を巡る旅』、そして『ちょっと寄り道』と続けていければと思っています。

『親鸞聖人の足跡を辿る旅 パート1』は、親鸞聖人のご誕生、お得度、修業、参篭、法然上人との出会い、そして流罪の道までを追っていきます!上図ですと、京都から居多ヶ浜の手前までをご紹介します。

それでは、ご覧ください!!

●親鸞聖人の足跡を辿る旅 パート1

『日野誕生院』(京都市伏見区)

~親鸞聖人ご誕生の地~

①入口

②本堂

③親鸞聖人童形像

【この場所について】

 京都市伏見区日野西大道町19 にある。この地には日野家の菩提寺・法界寺( 真言宗醍醐派) があり、11 世紀後半から12 世紀にかけた造立された丈六阿弥陀仏座像( 国宝) が安置されている。日野家の別邸が在った所から、日野家の一族だった親鸞聖人がこの地で誕生されたのではないかと見られている。  日野誕生院は、江戸時代後期の文政年間(1818 ~ 29) に西本願寺19 世本如上人が親鸞聖人の誕生を記念して建てたお堂に由来する。昭和6 年の立教開宗七百年の折に、それが今日の日野誕生院の建物に改築されている。

【副住職の感想】 親鸞聖人誕生の土地とされているお寺。町名にも、親鸞聖人の御実家である日野の名前が使われていることからも、所縁の深さが窺えます。

『法界寺』(京都市伏見区)

~親鸞聖人ご誕生の地~

①境内全景

②阿弥陀堂

③薬師堂

【この場所について】

 真言宗醍醐派の古刹で、通称日野薬師。藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺で、永承6 年(1051)、日野資業が薬師如来像を造って、日野家伝来の小像の薬師如来を胎内に収め、薬師堂(写真③)を建立して寺とした。  阿弥陀堂( 国宝 写真②) は、藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想等の影響で各地に建てられた阿弥陀堂建築の一つで、堂内には定朝様の丈六の阿弥陀如来像(国宝)が安置されている。

【副住職の感想】 当初予定にはありませんでしたが、日野誕生院のすぐ隣にあったため寄りました。いくつかの国宝を拝見でき、更に親鸞聖人が産湯を浴びた場所などもあり、意外と見応えがありました。阿弥陀堂内の阿弥陀如来像は撮影禁止でしたが、大仏と言っても良いほど大きく、とても立派な仏像でした。

『青蓮院』(京都市東山区)

~親鸞聖人お得度の地~

①入口

②正門

③中庭

④中庭

⑤ 植髪堂(現在もこの場所でお得度をされるそうです)

⑥親鸞聖人童形像

⑦聖人植樹の楠

【この場所について】

 京都市東山区粟田口三条坊町69-1 にある、天台宗の門跡寺院。親鸞聖人が出家得度された場所として顕彰されている。けれども親鸞聖人が実際に修家得度されたのは現在の青蓮院から程近い三条白川坊(東山区三条白川橋付近) で、鎌倉時代の末の元弘年間(1331 ~ 34 ) に火災で焼失した為に、それまで十楽院という里坊だった現在の境内地に本坊を移し、以来ここが青蓮院と呼ばれるようになった。

【副住職の感想】 開祖・親鸞聖人が得度式( 僧侶になる儀式) を行なったとされる場所。中庭(写真4枚目) が綺麗にされており、特に紅葉の季節にはたくさんの方が来られるそうです。門前には親鸞聖人が植えたとされる楠(写真7枚目) がありました。

『比叡山延暦寺』(滋賀県大津市)

~親鸞聖人修業の地~

①比叡山山道

②根本中堂(修復中)

③大講堂

④常行堂と法華堂

⑤比叡山から望む琵琶湖の景色

⑥大乗院前

⑦大乗院

⑧ケーブルカー延暦寺駅

【この場所について】

 滋賀県大津市にある天台宗の総本山。南北8 キロメートルにわたって連なる海抜750 ~ 850mの山並全体が延暦寺の聖域とされるが、根本中堂を中心とする東塔、釈迦堂を中心とする西塔、それに横川( よかわ) 中堂を中心とする横川という、三つの大きな地域に分かれている。  親鸞聖人が9 歳から20 年間修業した比叡山、特に関わりが深い所は東塔無動寺谷( むどうじだに) の大乗院( 写真⑥・⑦) と、横川の楞厳三昧院( りょうごんさんまいいん) である。この大乗院は建久3年(1192)、聖人の得度の師とされる慈円が復興した御堂で、聖人もここで勉学に励まれていた可能性がある。  楞厳三昧院は比叡山の中ではわずかに西塔に、廊下で結ばれた常行堂と法華堂(共に文禄4 年(1595) 建立 写真④)があり、「弁慶のにない堂」と呼ばれて親しまれている。この唯一残された常行堂の所に「親鸞聖人旧跡」の石碑が建てられている。

【副住職の感想】 親鸞聖人が得度してから、勉学に努めた場所である比叡山延暦寺。根本中堂(写真②)は現在修復中でしたが、中に入ることが出来、1200 年途絶えていない「不滅の法灯」を拝見しました。全体的に、冬という事で人が少なく、自由に見て回ることが出来ました。

『頂法寺・六角堂』(京都市中京区)

~親鸞聖人参篭の地~

①正門(写真右に指が入ってます、すみません。。)

②親鸞聖人像

③本堂

④六臂如意輪観音

⑤親鸞堂

⑥親鸞聖人 夢想之像

【この場所について】

 京都市中京区堂之前町にある天台宗系単立寺院。古くは六角堂と呼ばれ、聖徳太子が建立した日本最古の寺とされてきた。本尊は六臂( ろっぴ) 如意輪観音( 写真④)。京都町中の観音霊場として信仰され、特に民衆が夢告を受ける参籠の寺として有名になった。平安時代末期には、太子信仰の隆盛に伴いここが太子建立の寺だと言い出だされた。おそらく親鸞聖人もそれを信じてここに参籠されたのだろう。

【副住職の感想】 親鸞聖人が比叡山での修業に限界を感じ、100 日参篭を行ったとされる場所。95 日目に夢のお告げを聞き、吉水( 現安養寺) の法然上人の元に向かったと言われています。当時は聖人の様に、参篭( 寺に籠り夢告を待つ) をする方も珍しくなかったそうですが、私がお邪魔した現在も多くの方が参拝に来ていました。境内奥の親鸞堂(写真⑤)には、親鸞聖人が夢のお告げを聞いておられる姿「夢想之像( 写真⑥)」が安置されています。

『安養寺』(京都市東山区)

~親鸞聖人の師・法然上人の禅房~

①入口

②本堂

③東山

【この場所について】

 京都市東山区八坂鳥居前にある時宗の寺。法然上人がおられた吉水の禅房を慈円大僧正が護持した寺と伝えられている。円山公園の東側にあるが、吉水の禅房は円山公園内の八坂神社裏の場所に位置していた。現在の本堂へ登るところに「法然親鸞両上人御旧跡」と刻まれた石碑(写真①)があり、本堂内には両上人の木像も安置されている。

【副住職の感想】 親鸞聖人の師である法然上人が、比叡山を下りて念仏の教えを広めていた場所。裏には東山が広がっていたが、平成30 年9 月の台風の被害がひどかったです( 写真③)。

『誠照寺』(福井県鯖江市)

~親鸞聖人流罪の道~

①入口・四足門

②駆け出しの龍

③御影堂

【この場所について】

 親鸞聖人を宗祖とする真宗誠照寺派の本山。如道(如導)を中心に形成された如道教団(後の三門徒)に属した道性の子如覚の系統をひく。寺伝によると親鸞が承元の法難で越後国へ流罪となる途上、越前国上野ヶ原の豪族波多野景之の別荘に滞在し、景之に弥陀本願の要法を説いたのが機縁であるとされる。これにより、この地は真宗の初転法輪の聖地とされる。正門に当たる「四足門(写真①)」の横には「駆け出しの龍( 写真②)」が彫刻されており、文久2 年(1862) の大火災の際、水を吐いて門を守ったと伝えられている。

【副住職の感想】 親鸞聖人が流罪になり、最初に説法をしたと言われているのが、この誠照寺および次の『車の道場』。親鸞聖人が。師である法然上人の元を離れ、浄土真宗への道を歩み始めた、貴重な場所を感じることが出来ました。

『車の道場』(福井県鯖江市)

~親鸞聖人流罪の道・初転法輪の地~

①本堂

②阿弥陀如来像

③六字名号(南無阿弥陀仏)の石碑

【この場所について】

 車の道場は北陸路における祖師聖人随一の御旧跡、真宗の初転法輪の地であって、聖人流罪途上の輿車に因んで「車の道場」とよばれ、現在は上野別堂( うわのべつどう) とも称し、本山誠照寺の別院となっている。地方の豪族であった波多野景之(法名空然)が己の茶寮を道場に改め、聖人の第五子道性を請い住職とした。安置されている本尊は、慈覚大師の直作の阿弥陀如来であって、これは宗祖聖人御形見の背負の御木像(写真②)である。本堂は京都帝国大学工学博士天沼俊一氏の設計により復興された。総桧48 本の柱をもって築かれ、室町時代を模した寝殿造りである。

【副住職の感想】 親鸞聖人が初転法輪した場所とされているのがこの車の道場です。まだ教行信証を書いていない聖人がどのような事をお話しされたのか、様々な考えを巡らせながら参詣させていただきました。

『證誠寺』(福井県鯖江市)

~親鸞聖人流罪の道~

①入口・正門

②御影堂

③阿弥陀堂

【この場所について】

 福井県鯖江市にある寺院で、真宗山元派の本山。親鸞聖人が承元元年(1207)、流罪の身として越後へ向かう途中、山元の庄( 現在の鯖江陸軍墓地) において法を説いたが、これが證誠寺開山の基となる。  至徳2 年(1385) に親鸞の長男善鸞の系統で真宗三門徒派の開祖である如道の門人道性が創建した。ところが師の没後、後継者である次男が浄土宗に改宗したために内紛( 大町・横越引分) が勃発し、これを機に独立した。

【副住職の感想】 真宗十派の一つである山元派の本山。本尊にある木造の阿弥陀如来像立像は藤原時代~鎌倉時代(12 世紀末~ 13 世紀初頭・写真③) に造られたもので、鯖江市の指定文化財となっていました。

『極性寺』(富山県富山市)

~親鸞聖人流罪の道~

①入口

②本堂

③親鸞聖人像

【この場所について】

 富山市安田町1-11 にある真宗大谷派の寺院。元は、新川郡下条水橋館( にいかわぐん げじょう みずはしたち) にあった真言宗寺院だが、親鸞聖人が流罪の道中にここへ逗留した折、その感化を受けて浄土真宗に改宗したという。近世富山藩の時代に現在地に落ち着く。

【副住職の感想】 富山駅から歩いて10 分程いったところにあるお寺でした。入口(写真①)が少しわかりにくかったですが、進むと境内が広がっていました。その中には親鸞聖人の立像( 写真③) もあり、聖人所縁のお寺といった感じがしました。お声がけしたのですがどなたもいらっしゃらなくて、残念ながら本堂には入ることが出来ませんでした。

『徳法寺』(富山県黒部市)

~親鸞聖人流罪の道~

①三本柿の一つ

②本堂・十字名号(帰命盡十方無碍光如来)

③腰掛け石

【この場所について】

 富山県黒部市三日市3241 にある真宗大谷派の寺院。親鸞聖人が流罪の際、当地の辻源左衛門時国方へ宿泊し、その縁から弟子入りし祐円と名乗る。この寺にはまた三本柿という柿の古木(写真①) があるが、宿泊の時源左衛門から差し出された柿の種を、聖人が囲炉裏で半焼きにした末に植えたところ、三本の柿の木が生じたといういわれをもつという。

【副住職の感想】 別名・辻徳法寺と呼ばれていますが、寺族の名字が辻さんとおっしゃっていました。柿の木の近くには、親鸞聖人が腰を掛けたと言われる腰掛け石( 写真③) がありました。また、本尊が像ではなく親鸞聖人御真筆と言われる十字名号( 写真②) というのも印象的でした。次の大雲寺さんとは親戚関係にあるそうです。

『大雲寺』(新潟県糸魚川市)

~親鸞聖人流罪の道~

①入口

②親鸞聖人・蓮如上人の御立像

③立ち竦みの像

【この場所について】

 新潟県糸魚川市外波にある真宗大谷派の寺院。この地には有名な親不知( おやしらず) の難所があるが、親鸞聖人がこの難所に行く手を阻まれた際、「立ち竦( すく) み」という名の漁師が道案内をしてくれ、そのお蔭で一行は通り越すことが出来た。  やがて外波の里に着いた一行は、外波村の神職・大文字屋右近平宗輝宅にて、難所を抜けた時の話をすると、妻の持仏も「立ち竦み」と称すると言った。厨子を開けると、如来の裾が塩水にぬれ、足には砂が付いていたという。この奇瑞から、一晩法話を聴聞した当主は、その場で弟子と成り、この寺を建てたと伝える。

【副住職の感想】 後に本願寺八代目の蓮如上人から飛龍山という山号を頂いたことから、親鸞聖人と蓮如上人のお二人の立像( 写真②) が置いてありました。また立ち竦みの像( 写真③) も見せていただくことが出来ました。雨が降っていることもあり、帰りは最寄り駅まで車で送って頂き、更に駅で温かいお茶までごちそうになってしまいました。

以上です!

長くてすみません。(笑)

パート2もお楽しみに!!

南無阿弥陀仏

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