読書筋力をつけて、法話への準備を進める
10/23 - 10/29の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。

今週は、小樽のお寺さんの報恩講に呼んでいただき、外陣での声出し役としてお手伝いさせていただきました。大きな御堂で大きな声を出すのは気持ちが良いのですが、喉の調子が芳しくなかったので薬とトローチと龍角散と気合(これが一番大事)で、何とか乗り越えました。ちなみに、今は元気になりました。
週が明け、11月3日㈫㈷には拙寺での報恩講があります。昨日今日で法話の原稿もかなり出来上がってきましたし、御朱印の素案も出来上がりました。万全を期して当日を迎えられればと思っておりますので、皆様の御参詣を心よりお待ちしております。
↓↓11月3日の報恩講詳細はこちら↓↓
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読書筋力をつけて、法話への準備を進める
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今週は、『はじめてのウィトゲンシュタイン』という本をベースに読みつつ、法話に向けて『真宗大谷派の荘厳全書』、及びトイレで『ゴールデンスランバー(伊坂幸太郎著)』を読んだ。
ちなみに、ゴールデンスランバーは大好きな小説なのでもう今生何周目の鑑賞になるか分からないが、今回はまだ読み終わっていない。自宅でのトイレ時間でゆっくりと読み進めているだけだ。
ウィトゲンシュタインは20世紀初頭に活躍した哲学者だ。名前は何となく聞いたことがあっても、実際どんな人物だったのか、また何をした人なのかは全く知らなかったので手を出してみた。
哲学はとても難しいイメージがあるので、『はじめての~』という枕につられて買った本だったが、それでも私には難しい内容だった。何か壮大なことを言っているような、重箱の隅をつついているような、その狭間で読み進めていくにつれて混乱してしまった。
さらさらと読み進めようと思うと何も頭に残っていないことに気が付き、じっくりと目を通した結果、読了までにとても時間がかかった。まだまだ読書筋力が足りないことを痛感した。
哲学と宗教は、時として同じ分野として見られることがある。正解がないことを考える、という点において大いなる共通点を見出すことが出来るが、自然科学の発達によって立場が危うくなっている、という点においても近しいものを感じる。
ちなみにウィトゲンシュタインの代表作と言えば『論理哲学論考』が挙げられるが、本書に掲載されていた概略を読んでもきちんと理解できなかったので、もう少し読書筋力と自信が付いたら読んでみようと思う。
ただ、そんな貧弱な私だが、少し前に比べれば筋力は上がっているのを、『真宗大谷派の荘厳全書』を読んでいて感じることが出来た。半分図鑑のような本だし、以前に目を通したことがあるということもあるが、500ページほどの本を半日で読むことが出来た。成長を実感できて、結構嬉しかった。
この本は、報恩講での法話用に目を通したため、適宜iPadにメモを取りながらの読書となった。『御荘厳』というテーマで話をする予定で、視覚の面と言語(非視覚)の面、それぞれから説いていければと思い、今はそのメモを取りまとめている最中だ。
『仏法、毛穴より入る』という言葉を聞いたことがあるが、本堂に入って一番それを感じるのは御荘厳だろう。言葉にできない体験がそこにはあり、信仰を想起させる意味でもとても大きな役割がある。
御荘厳について、全てを言葉でお伝え出来ないのは百も承知だが、出来る限りのことをお伝えしたいと思う。一人でも多くの方が、少しでも信が喚起されれば、僧分として何よりの事である。
そしてそのためには、一人でも多くの方が本堂に来ていただく必要があるので、是非とも御参詣いただきたい。
ブログをお読みいただき、ありがとうございます。11月3日にお会いしましょう。
南無阿弥陀仏
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