怖さは、知ることで払拭しよう
10/9 - 10/15の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
ちょうど本日は、前住職(私の父)の祥月命日でした。

早いもので6年が経ち、先だって先週の土曜日に七回忌の法要を執り行いました。お参りに来てくださった方々、ありがとうございました。
私は、父が亡くなったタイミングで住職になりましたので、そこからも6年が経ったということになります。子供が小学校に入って卒業するだけの年月が流れたわけですが、あっという間に感じます。
成長できたような、何も変わっていないような、そんな6年間でしたが、我が子を見ればそんな悠長なことも言っていられません。建替えも漸く着工になりましたし、ひたすら前に進んでまいります。
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怖さは、知ることで払拭しよう
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日本は島国ということもあり、他の文化を受け入れにくい慣習があるように見受けられる。それでも十分に近代化しているし、時代は流れているのは間違いないが、この国の根底にあるのは保守的な考えだろう。
そんな排他的な一面が最も出るのが、宗教面ではないかと思う。合理的ではなく時として論理的でもない。それらを超えたところに存在するからこそ、簡単には理解できない。
人はそういったモノに接すると、『怖い』と思ってしまう。おそらく、自分が理解できないものは怖いというのが我々人間の本能に刷り込まれていて、理解しようというよりも遠ざけたいという気持ちが勝ってしまうのではないか。
そして、日本人にとって未知の世界的宗教と言えばイスラム教(イスラーム)が挙げられる。正直申し上げて、日本においてイスラームのイメージは良いとは言えず、中東の情勢が不安定な国々であったり、ひいてはテロなんかを想起する人も少なくないだろう。
ただ、多くのイスラーム圏の人々が移り住んできている現代の日本において、イスラームに無知のままではいけない。遠ざけているばかりでは、怖いという気持ちは払拭できない。
イスラームを例に挙げてしまったが、日本では『宗教=怖い』という図式が概ね成立してしまうだろう。初詣やお墓参りには行くのに、いざ一歩踏み込んだ宗教の話はしたがらない。少し不思議な気がする。
かくいう私も、仏教を学ぶまでは同じ感覚だったのでえらいことは言えない。そこで『宗教を知ろう』という世界三大宗教間対話の企画を立ち上げ、お寺の建替え前に2回ほど開催した。お世辞にも人集めに成功したとは言えないが(偏に私の努力・実力不足)、有意義なものであったとは自負している。
今週読んだ二冊、『日本の仏教とイスラーム』と『増補 チベット密教』を通じて、宗教への興味がより駆り立てられた。日本の仏教との共通点も多くある一方、私がまだまだ知らない世界も広がっていて、自らの浅学さを痛感した。
とはいえ、知ることの一歩を踏み出せたことはとても大きい。自分たちとは全く違う背景で生まれ育った人が増え続ける日本において、相手を少しでも知っていることは大きな強みになるだろう。
本はたかだか数千円だし、片手で持ち運べるけど、自分の世界を広げてくれる。大変に面白いので、引き続き読書をしていきたい。
ブログをお読みいただき、ありがとうございます。来週ももうちょっと宗教系の本を深堀ってみる。二冊くらい読みたい。
南無阿弥陀仏
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