なぜ英語を学ぶのか

こんばんは。 

法善寺副住職の中山龍之介です。

法善寺では、マンツーマンで英語を教えています。その生徒の方から興味深い記事をシェアしていただいたので、本日はその記事について書かせていただきます。

↓記事へのリンク↓

http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html

とても長い記事なのですが、ぜひ読んでみてください。読むのが大変、という方はそのまま下へお進みください。

私は高校までは日本で普通に過ごしていました。特に英語が得意だった訳でもなく、友達に帰国子女もいませんでした。当然のように、高校2年が終わるまでは、留学なんて考えたこともありませんでした。

ただ、家がお寺ということもあり、母親からは『将来はずっとここにいることになるんだから、大学ぐらいはどこか遠くで一人暮らししてみれば?』と言われていました。母親は京都の仏教系の大学を想定していたと思いますが、私の中で勝手に飛躍してアメリカに行くことになったわけです笑

なので始めは英語に苦労しました。まずTOEFLをパスするのにとても勉強しました。大げさではなく、寝てる時間とご飯食べてる時間以外は勉強して、何とか基準点を上回り晴れて大学の正規授業を受けられることになりました。

だけど授業で必要な英語力は、TOEFLで求められるものよりも断然上のものでした。ノートを取ることすらままならなく、現地のアメリカ人からすれば楽勝の授業でも、遥かに長い時間をかけなければ単位を取ることはできませんでした。絶対日本語なら楽勝なのに、と悔しい思いをしたのも覚えています。

しかし年数が進むにつれて英語にもなれ、アメリカでの生活にも慣れ、結果4年半で無事に卒業することができました。

こんな留学生活でしたが、留学生活で得たものはなんですか?と聞かれても『英語です』とは決して答えません。もちろん英語も『得たもの』には変わりありませんが、留学を終えて思うのは、『英語は手段であって目的ではない』ということでした。

(逆に『留学生活では英語力が身に付きました』と言ってる人は信用できません笑)

このご時世、グーグル翻訳やポケトークなど、言語力をカバーするだけならいくらでも方法はあります。

じゃあなぜ英語を学ぶのか。

私は英語を通して、アメリカの文化に触れ、アメリカ人の友達ができ、アメリカ人の考え方を学びました。また、違う国から来ている留学生とも交流することが出来、その国々の思想や考え方についても学ぶことができました。

一つ例をあげます。

大学の夏休み、おばが住んでいるノースカロライナに行きました。隣にはおばの娘夫婦が住んでいて、旦那さんはアメリカ人でした。

ある日そのアメリカ人の旦那さんと私の二人で、家の裏にある桟橋で釣りをしていました。少し時間が経つと、その旦那さんがスイカを桟橋まで持ってきてくれました。美味しく食べていると横で、身を食べ終わったスイカの皮をどんどん川に捨てていっていました。

え!と驚いて『直接川に捨てて大丈夫なの?』と聞くと『捨てちゃいけないなんてルールは無いから良いんだよ』と言っていました。この発言には大変驚きましたが、これこそアメリカ人の感覚だと思いました。(本当にルールが無かったのかは分かりませんが笑)

日本人である私の感覚としては、やっていいと許されていることはやります。逆にアメリカ人は、やっちゃダメと禁止されていること以外はやって良い事として捉えます。

この経験から、私は少し思い切った行動をするときはこの発想を思い出すようにしています。

今回読ませていただいた記事の中に、外国語を学ぶことの意義は母語的な価値観の『外部』が存在することを知ること、という記述があります。それは正にそのとおりで、英語を学ばないと分からない考え方や思想は必ずあります。これは宗教にも言えることで、宗教を知らなければ理解出来ない人の考え方や思考も必ずあります。

私達は日本人として生まれ、何も気にせず日本語という言葉で物事を考えています。実はそれ自体がとても日本的なんです。

たまにビジネス系の記事で、外国人が『日本人は結論を先に言わないからイライラする』といった主旨の文を目にします。色々思うことはありますが、私が思うのは、元来日本語というのは曖昧な表現を好み、直接的な表現を嫌う言語ですので仕方ない、ということです。

反対に、アメリカが牛耳る社会でアメリカ式に働くことが正とされ、そのアメリカ人が英語で物事を考えているわけですから、英語のように『結論を先に言え』が正となるわけです。

(もちろん、だからと言って本来の日本語のように曖昧な表現をし続けるべきだ、というのは違います)

前述では、英語は手段であると言いましたが、言語は単なるツールではなく、人の思考方法に大きく関わっています。英語を学ぶ上でそれを理解すること、決して『英語を話すこと』をゴールにしないこと、それらがとても重要だと思いました。

ちなみに(宣伝ではないですが)、法善寺の英語塾では、英語を教える前に世界地図を見てもらいます。日本以外の国がいかに多いか、日本語はいかに狭いところでしか使われていないか、英語を話すとどれだけ広い世界の人と話ができるのか、ということを分かってもらうためです。英語を、ご自身の世界を広げるためのツールとして使ってもらいたいと思っています。(なんだか上から目線でしょうか。すみません笑)

この記事をシェアしていただいた人はすでに社会人ですが、初めて英語を学ぶのがとても楽しくなってきたと仰ってくれました。とても嬉しいことです。

『世界を広げる』

これをテーマにしたとき、言語を学ぶことと宗教を学ぶことは同じ意味を持つのかな、と思いました。

長くなりましたがこの辺で失礼いたします!

南無阿弥陀仏

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