本願寺学院2年目 前期レポート公開④(完)

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


昨日に引き続き、先週に提出した学院のレポートを公開していきます。金曜日は試験ですので、今日で最後となります!


木曜日の授業は三経七祖。

レポートのテーマは『親鸞聖人における曇鸞大師の思想の継承について』でした。浄土真宗では、七高僧と呼ばれる七人のお坊さんがいらっしゃいます。親鸞聖人はその方々が紡いできた思想を展開させたと言われています。その三番目である曇鸞大師の思想は、どのように親鸞聖人に継承されたのかをまとめました。


ちなみにこのレポートでは、指定されたキーワードを含まなければいけないという制約がありました。キーワードは『龍樹菩薩』『天親菩薩』『難易二道』『願生』『他利利他の深義』『凡夫』『往還二廻向』の七つでした。


では、ご覧ください!

親鸞聖人における曇鸞大師の思想の継承

本科二年 中山龍之介


 親鸞聖人は、七高僧と呼ばれる七人の高僧が伝えられてきた教えを継承し、展開させた。この七高僧の中でも、三人目の曇鸞大師(どんらんだいし)は親鸞聖人に大きな影響を与えている。それは七高僧の教えを著した高僧和讃において、曇鸞大師の和讃が最も多いことからも窺い知れる。では親鸞聖人は、曇鸞大師からどのような教えを頂いたのか、また、曇鸞大師はそれ以前の高僧方からどのような教えを頂いたのか、それらを紐解いていく。


 七高僧で初めに挙げられるのが龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)である。八宗の祖師と呼ばれ、初めて釈尊の教えに深く頷いた人とされている。釈尊が入滅された約七百年後に南インドのアーンドラ王国のバラモンの家に誕生、類い稀な秀才とされ、幼いころにヴェーダ聖典を聞いて暗誦し、あらゆる学問を身につけたと言われる。しかし欲望にまみれた生活の中で親友を殺され、欲望が苦しみの根本であると知り、仏門に入る。上座部と大乗の教えを学び、全ての物事は固有の性質を持たないという無生法忍(むしょうぼうにん)の思想を確立させた。これは空思想に展開され、全ては縁起により成り立っていると説いた。


 龍樹菩薩の代表的な著書に『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』があり、その中で菩薩として不退転の地位である阿惟越致地(あゆいおっちじ)に至るまでの道を、難行道と易行道の二つ(難易二道)に分けて説かれた。難行道とは諸(様々な行)・久(長い時間)・堕(失敗する可能性)という三つの困難があり、反対に易行道は一(一つ)・速(短い時間)・不退(失敗しない)であるとした。この易行道は難行道を歩めない凡夫に対して、菩提心を起こして阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい = さとり)を得る道として、恭敬心を執持して名号を称ずべし、と説かれた。ここでは、様々な仏の易行道を説いており、まだ阿弥陀仏のみに絞っているわけではない。ただし他の仏に比べると特別な扱いをされており、それを次の天親菩薩(てんじんぼさつ)が展開していくのである。


 天親(世親(せしん)ともいう)菩薩は、釈尊入滅の約九百年後に北インドのガンダーラ国のバラモンの家に誕生した。説一切有部(せついっさいうぶ)で上座部仏教を学び、『阿毘達磨俱舎論(あびだるまくしゃろん = 俱舎論)』などを著した。初めは大乗に対して批判的な立場で、上座部仏教を弘めていたが、兄の無着により無量寿経に出会い回心、大乗の道を歩むことになる。


 龍樹菩薩と同じく、天親菩薩も多くの著書を残されている。その中でも代表作となるのが『無量寿経優婆提舎願生偈(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげ = 浄土論)』である。この浄土論で天親菩薩は、自らの阿弥陀仏への帰依と願生浄土を表白し、浄土往生のための行としての五念門行、そしてその果として五功徳門を説いている。礼拝(らいはい)・讃嘆(さんだん)・作願(さがん)・観察(かんざつ)・廻向(えこう)の五念門行の中で、特に作願門と観察門の二つの止観中心の高度の五念門を展開している。更に観察門では、仏国土・仏・菩薩を三厳二十九種荘厳に分けて展開し、これらは全て阿弥陀仏の清浄願心(きよらかな心)によるものだと明らかにされた。帰命という言葉を初めて使ったのも天親菩薩で、帰敬の心すなわち浄土の実在は願生心と切り離せないと説かれた。


 曇鸞大師は五世紀に北中国山西省の北部にある雁門(がんもん)で誕生した。出家した後、四論宗と呼ばれる龍樹菩薩やその弟子の著書などを学ばれた。また、仏教だけでなく儒教や道家思想も学び、世の人々に認められる仕事をしたいという想いから、六十巻にも及ぶ『大集経(だいじっきょう)』の注釈書を書くことを決意する。しかしその途中で病にかかってしまう。長生不死の法を求めて陶弘景(とうこうけい)という仙人のもとへ向かい、今で言う医学書にあたる『仙経(せんぎょう)』を授けられた。その後インドから来た菩提流支という三蔵法師に出会い『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』を勧められ、身の長生きではなく心の長生きを求めるべきだと諭される。これにより曇鸞大師は、苦労して手に入れた『仙経』を全て焼き捨て、浄土教に帰依した。『観無量寿経』では王舎城の悲劇を通して凡夫の真実が描かれており、凡夫でも救われる道として称名念仏が説かれているのである。


 曇鸞大師の著書に、上下巻から成る『浄土論註』があるが、これは浄土論に対する自らの解釈として著されたものである。


 上巻では『浄土論』の偈頌を解釈しており、難行道は自力にして他力の持(たも)ちなしとし、五濁の世、釈尊のいない無仏の時には易行道しかない、と逆悪の凡夫に向けて他力易行の法門を説いている。また五念門行を讃嘆門中心に展開し、念仏一行による浄土往生を弘めた。そして八番問答では、浄土教では極悪劣機の凡夫が救われると説かれた。


 下巻では『浄土論』の長行を解釈し、讃嘆門においては信心が淳く、一つであり、相続する、という三信を説いた。また仏願力による往還二廻向についても説いており、これを親鸞聖人は往相も還相も絶対他力によるものだと解釈した。つまり衆生往生の因果は、凡夫のはからいではなく、弥陀の願力廻向によるという他利利他の深義を示されたのである。この仏の願力というのは、至心信楽の願である第十八願、必死滅度の願である第十一願、そして還相廻向の願である第二十二願、この三願的証によるものだと解釈した。


 親鸞聖人の教えは、七高僧によって受け継がれてきたものが礎となっている。龍樹菩薩によって易行道が説かれ、天親菩薩により阿弥陀仏の清浄願心とそれに依った凡夫の願生心が説かれ、曇鸞大師により他利利他の深義による往還二廻向が説かれ、と教えが紡がれていったのである。時に親鸞聖人は、それらを文面通りではなく、その奥にある真意を探りながら頂いている。このように、七高僧の教えを頂くことで、親鸞聖人の教えは花開いていくのである。

いかがでしたでしょうか?ご質問やご意見ありましたら何なりと!


明日からは普通のブログに戻ります。週末に向けて天気が荒れてきておりますので、皆さまご自愛くださいませ。



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