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1歩進んで1歩下がる

8/20のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日のブログで高級時計について触れた翌日の今日、朝準備をしていると息子がタンスの上にずっと置いてあった、もはや置物と化していたGショックに気が付き、『これなに?』と聞いてきました。『時計だよ』というと『着けてみて』と言ってきたので久方ぶりに着けてみると、『おー、かっこいいねぇ。今日はずっとそれ着けててね』と言ってきました。


息子は保育園の日だったのでずっと一緒ではなかったのですが、これも何かの縁かと思い、法衣を着ているとき以外は時計を着けて過ごしてみました。久々の時計ありの1日はなんだか新鮮で、自分が思っていたよりも全然不快ではなかったです。だからと言ってじゃあ時計を買うか、とは全くなりませんが、息子のおかげで少し変わった1日を過ごせた今日でございました。


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1歩進んで1歩下がる ==================


そんな今日も今日とて、書道の作品制作に少し時間を割きました。そんなに広くないので、1度に1枚しか書けません。乾くのを待たなければいけないので反省点を生かすのは1~2時間後になるのですが、その頃には反省点を忘れていたりして、なかなか前に進まない感覚に陥ります。3歩進んで2歩下がるくらいなら良いものですが、1歩進んで1歩下がる、たまに2歩進めるかな、くらいの感じです。


大人になると、テストのような定量的な指針だけでなく、定性的な指針が増えてきます。いま自分は幸せなのかな、自分の周りの人は幸せなのかな、お檀家さんはどう思っているのかな、とかが最近よく考えることです。これらも突き詰めれば定量的に判断できるのかもしれませんが。


書道の技術なんか、まさに定性的です。級があるので自分が今どこにいるのかが分かりやすい気もしますが、何だか良く分からないうちに昇級していたり、逆に上手くなってきたと思っても昇級しなかったりします。結局俺って上手くなってるんだっけ?としょっちゅう考えますが、良く分かりません。


確かに3年前の字と比べたらさすがに雲泥の差なので分かりますが(過去の自分の字に驚きます)、昨日より、一週間前より、一か月前より上手くなったのかは不明瞭です。進んでは戻りを繰り返しながら上手くなっていくんだろうなとは思いつつも、明確に進んでいない時間を過ごすのはそれなりにタフなものです。


書道教室に行くと、私なんかよりも遥かに上手い方々ばかりですが、みなさん本当に考えて苦しみながら作品制作に向き合ってらっしゃいます。『お上手ですね』と声を掛けさせていただくこともありますが、みなさん口々に『いえいえ、そんなことないですよ』と仰います。最初のころは『謙遜されているのかな』と思っていましたが、自分も書道を3年ほど続けてきて分かりましたが、おそらく謙遜ではなく、みなさん本当に心から『自分はまだまだ』と思ってらっしゃるんだと思います。


ただ、明確に前に進まないから苦しいのですが、だからからこそ続けられる、という側面もあります。これは何事においてもそうかもしれません。人間とは何ともわがままな生き物ですね。


今日もブログをお読み頂きありがとうございました。大人が筋トレにハマる理由は、明確に前に進めるから、だと思います。



南無阿弥陀仏

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