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人はいつ宗教を欲するか

7/16のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日はお盆の最終日でした。空を見上げるほどの暑さでしたが、三連休の中日ということもあってか思ったよりも多くの方がお参りにいらしておりました。皆さん、暑い中ご苦労様でした。


今年のお盆は、『開店休業だな〜』みたいな日がなく、満遍なく忙しかった印象です。御朱印も人気でしたし、昨日今日でやったかき氷もとても人気でした。忙しいのは何よりで、働いたな〜という感じがして爽やかで良しです。お盆は終わりましたが、まだまだ暑い日が続きますので、どうぞお気を付けてお過ごしください。


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人はいつ宗教を欲するか

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そんな今日でしたが、第3日曜日ということで声明の会がありました。みんなでお経を読んだり、私からお経の解説をさせていただいたり、みんなで雑談したりする会です。ちなみにどなたでもご参加いただけますので、お気軽にお越しください。


今日の声明の会では、王舎城の悲劇というお話をさせていただきました。あらすじをここで書くと長くなりすぎるので割愛しますが、ざっくり言いますと、お釈迦さまの悪いお弟子さんに唆された王子が、両親を投獄する、というお話です。投獄された母親が、こんな苦しみに満ちた世界から早く離れたいと願い、お釈迦様がその道を示されます。


仏教においては割と有名な話だったりしますが、一般的にはそうではありません。実際私もお寺に入るまでは知らない話でしたし、今日お話しさせていただいても、皆さん初めてお聞きしたようです。これを機に、少しでも仏縁が深まってくだされば幸いですが。


人生、上手くいっている時には何も疑問を持たないものです。『最近人生が調子良いな、気を付けなければ』と思う人はほとんどいないはずで、転落して上手く回らなくなると漸く『なんでこんなことに、、、』と思うわけです。都合の良い考えに聞こえますが、実際人間はそんなものだと思います。


そして上手くいっている時には気が付きにくいですが、この世界は苦しみに満ち溢れています。一切皆苦という言葉もございますが、昔に比べればはるかに便利になった現代でも、一寸先には苦しみが隠れています。人はそのことに気が付かず、上手くいっているように見える人を見ては妬み、攻撃してしまいます。その人だって苦しみの中にいるのに、そんなことはお構いなしです。


苦しみの中にいる、と気が付かなければ、宗教の出る幕は無いのかな、と個人的には思っています。自分の力で何もかも思い通りだぜ!と思っている人は宗教には目もくれません。苦しい、どうしようもなく苦しい、と感じて初めて、自分では無い何か大きなものの存在に気が付くわけで、そこにそっと手を伸ばすのが阿弥陀仏なのかなぁと思っています。というか、そこで出てくる何かに、阿弥陀仏という名前を付けているのかもしれません。


歳を重ねて色々な経験をすると、自分の力ではどうにもならないということに気が付き始めます。私自身もそういう思いで日々を過ごしておりますが、人によっては状況が違います。今日の声明の会みたいな、有志の集まりでないと出来ない話もありますので、今日はちょっと深くに突っ込めたかなぁ、と少し嬉しい気持ちでおります。


仏教は素晴らしい教えだと思いますが、それはやはり受け手あってのものです。お腹いっぱいの人にはいくら美味しいものでも受け入れられないように、自力で立ち回っている人には仏法は届きにくいものです。ただだからといって諦めていいものでもありませんので、ひたすらノックし続ける根気がこちら側には必要になってきます。


8月は少しスローになりそうですが、9月になればお彼岸もありますし、声明の会もありますし、10月にはバスツアーもございます。根気強く、頑張っていきます。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。若いうちは、どうしたって自力に縋ってしまうよなぁ。



南無阿弥陀仏

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