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王鐸の臨書のお勉強

3/17のブログです。


こんにちは。

法善寺住職の中山龍之介です。


明日からお彼岸が始まります。初日が悪天候みたいですが、日程変更とか出来るものじゃありませんので、自然に身を任せて進むだけです。


ということで、今日は本堂のお荘厳を整えたり、御朱印の書き込みを行なっておりました。法善寺では、正月・春秋のお彼岸・お盆の年に4回だけ御朱印をお配りしております。毎回文字を変えたりバックグランドのデザインを変えたりしているのですが、今回は『無対光』という文字で、バックグラウンドには木蓮の絵があしらわれています。完成形の写真を撮り忘れてしまったので明日掲載しますが、それなりに素敵な仕上がりになったと思います。是非是非本堂にお立ち寄りください。


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王鐸の臨書のお勉強

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さて、お彼岸前日に似つかわしくないかもしれませんが、昨日の書道のお話をまた少しさせていただければと思います。昨日のブログでは課題提出について触れましたが、それは授業で言えば前半のお話。後半に法帖(古典のお勉強)がありましたので、今日はそれについて書かせていただきます。


いま私は、王鐸の臨書を勉強しております。毎月の課題にも王鐸の臨書はあるのですが、それよりも大きくて長いものが課題として取り扱われています。数多ある王鐸の作品の中から、3種類が課題となっておりまして、それをゆくゆくは提出していく、ということになっています。


こういったものを同時進行で進めることが難しい性格ですので、まずは一番短い『秋月帖』に取り組むことにしました。実は今回が3回目でして、これまでは全然ダメダメで来てしまっていました。紙に対して字が大きすぎて最後まで入りきらなかったり(そもそも1行1行に書き入れる文字数も決まっています)、逆に大きくなりすぎないよう気にしすぎて寸足らずになったり。臨書は字形もそうですが、サイズ感を捉えるのもかなり難しいです。


そんな今回、そろそろ決めたいな、と思っていたのですが、1枚目は例の如く寸足らず。1行目はうまく行ったと思ったのですが、2行目でどんどん小さくなってしまいました。実は1行目も、最初の『秋月但』が大きく入ってしまい、そこから小さく書くことを意識して調整していました。その影響から、2行目は最初から小さく書いたため、寸足らずとなったわけです。


またしてもダメなのか、とため息をつきながらも、書くしかありませんので2回目の挑戦をしました。サイズ感はもちろんですが、太細や、筆の立ち上げを意識しなければいけません。意識するところが多くて大変ですが、集中して臨みました。


そうして書いた2枚目ですが、無事にサイズ感よく収めることが出来ました。もちろん文句を言い出したらキリがありませんが、今までのに比べると雲泥の差で、ようやくそれなりのものが出来た、と嬉しい気持ちになりました。先生からも『これは取り置きしておきましょうか』というお言葉をいただき、一旦この『秋月帖』はクリアとさせていただきました。


臨書は正解があるだけに、ある意味終わりのない旅です。絶対的に完璧に臨書することなんて絶対できませんので、毎回書き終わるたびに『あぁ、ここがダメだな』と思うわけです。そこを修正するために次に臨んでも、また新たな修正点が絶対に出てきます。まぁこのやりとりこそが勉強で、臨書によって筆の使い方はグンと成長できます。


それにしても、私は全神経を注ぎ込んで、いちいち筆を立ち上げ、字形を確認し、空間を意識しながら書きましたが、王鐸はこんな作品をサラッと書いてしまうなんて信じられません。上手い人は筆運びを見るだけで勉強になりますが、王鐸のそれを見たら痺れるんだろうな、と変な想像をしながら臨書に励みました。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。筆運びは一期一会です。



南無阿弥陀仏

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