大溪洗耳先生の言葉

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


今日はとても寒い一日でした。時間によっては少しだけ雨も降ったりと、ついについに、本格的な冬を感じさせる一日だった気がします笑


さて、今日のブログではタイトルの通り、大溪洗耳(おおたにせんじ)先生の言葉を載せさせていただきます。この方は、私が通っている日本書道芸術院の創設者で、その世界では有名な書家です。もうお亡くなりになっているのですが、大溪先生の言葉が教室に貼られておりましたので、それをブログに転用させていただきます。人としての成長がいかに大切かが説かれています。


許可などは取っていませんが笑、とても感銘を受けましたので皆さんにも是非読んでいただきたいです。特に、今の自分自身に行き詰まりを感じている方には、とても刺さる文章だと思います。


ちなみに、私からは解説は致しません。読んだ方が、それぞれ思い思いに受け取られるのが良いと思います。


書についての言葉

大溪洗耳



書はうまいということを目指すのか。

きれいにうまいということだけを取れば、賞状書きや筆耕を職業としている人の方が餘程きれいでうまいのです。


古典のかななどは、平安貴族の教養としての華麗さや流れやリズムを重んじてそこに雅びを求めました。

反論として、うまくなくともいいのではないか、という意見も出て来ます。うまくなくても魅力があってすばらしく人をひきつけるものがあれば、それは否定は出来ません。


若い時から習っていたことが、長ければ長いほど身体にしみついて、もうそれ以外のことが出来ないというのは普通しばしば眼にします。うまいが、あんまり見たくない、長く見ていたくない、うまいがつまらない。それは何も神經に加えることなく、浅い考えでただ書きつづけて慣れてくる。この慣れが作品をつまらなくします。いわゆる泥む(なずむ)といいます。手垢でうす汚れた作品です、だから慣れた作品を書くことは、只今勉強中の者にとってもっともいけません。うまくいかないが進取の精神を持っていつも勉強、これが大切です。


人間が書を学ぶというと直ぐ書の本を買って来たり、技巧的なことを学ぼう思います。あなたは一日何時間書の勉強をしますか。純粋なる書の勉強をです。せいぜい二、三時間です。集中してやれる時間はそんなものです。


ところがあなたは一日二十四時間生きています。八時間は寝ていたとしても、あとの十六時間は何をしていますか、ニ時間書を学んだとしても十四時間は何をしていますか、書家としてではなく、人間としてどれ位の努力をしてどれ位脳の中に厚みを作っていますか。それこそ、あらゆることを学びあらゆることを行為し、實にいろいろな勝れた人に会って書以外の話をし、書以外の経験をし、そして行為をしていますか。


書をやるのは人間です。人間がつまらなければどんなに筆を持っても形だけ似た書だけを求めざるを得ません。人間を磨くにはいつも間近にすぐれた人を観、多くの影響を受けなければダメです。つまらない人でも昔お世話になった人だから離れるわけにはいかないという、そんな甘い所から大傑作は生れません。



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