持戒とは
- Nakayama Ryunosuke
- 2020年5月11日
- 読了時間: 4分
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
本日はとてもいい天気。最高気温も28℃でほとんど夏のような陽気でした。
しばらく本堂にはストーブが置いてありましたが、本日ついに片付けました。春になってから『もう片付けていいんじゃない?』と母や妻に言われていたのですが『いやまだ寒い日が来る!』と言って片付けず、3月末の大雪の日にはドヤ顔をしておりましたが、さすがにもうストーブがいるような天候にはならないだろうと思い、片付けることにしました。
気付けばもう5月も中旬です。いやほんとに、4月どこ行った(#コロナスリップ)。
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マスクの発送始めました
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さて、本日からマスクの発送を始めました。5月17日を締め切りにしておりましたが、やっぱりお困りの方々には早めに届けた方が良いと思い、巻きで発送しております。
今日は、お申込みいただいた方々に電話やメールをしてお振込み先の御案内をし、振込が確認できた方から発送していっています。
ちなみにマスクは、妻が百貨店でのバイト経験を活かし、包装紙で包んでお送りしています。『バイトの経験がこんなところで活きるとは思わなかった』と言っておりましたが、大活躍です。ありがたや。
本日連絡が取れなかった方々にも、明日以降改めてご連絡していきます。もしこのブログを読んでいる方で、申し込んだのに連絡が来ていないという方がいらっしゃいましたら、法善寺までご連絡ください。秒速で対応いたします。
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六波羅蜜の持戒
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先日のブログで、六波羅蜜の『布施』について触れさせていただきましたが、今回は『持戒』について書いていこうと思います。私なりにだいぶ書き下しますので、ご注意ください。(ちなみに六波羅蜜とは、仏教徒が実践すべき6つの行いのことです)
『持戒』とは文字通り、戒律を持つことです。つまりは自らを戒める・律するという事になります。
戒律というと、無駄な殺生をしない、人を裏切らない、食べ物を粗末にしない、こういうのがぱっと頭に浮かぶと思います。これらを難しい言葉で言えば『五戒』といって、不殺生・不邪淫・不偸盗・不妄語・不飲酒という言葉で表されます。(細かく言えばもっとたくさんありますが、長くなりますのでここでは割愛)
ところが浄土真宗は一般的に『戒律の無い宗派』と言われています。今でこそほぼ全ての宗派のお坊さんがお酒も飲むし肉も食べるし結婚もしますが、明治頃までは表立ってこれらの行動が許されたのは浄土真宗の僧侶だけだったそうです。頭を丸めないのも浄土真宗だけですね。
ちなみに、お寺と言ったら世襲制を思い浮かべる方が多いと思いますが、昔は妻帯できたのは浄土真宗だけですので、他の宗派は世襲制ではなかったんですね。今では考えられません。
じゃあ浄土真宗の僧侶は何をしても良いのかというと、決してそうではありません。
浄土真宗では、私たちは凡夫であると説かれます。凡夫である以上、厳しい戒律を守ることが出来ない、それでもそんな我々を阿弥陀如来は救ってくださる、という教えです。
しかしだからと言って戒律を自ら破るようなことは、浄土真宗であってもご法度とされます。凡夫であっても、出来る限りの戒律を守ろうとする姿勢が求められているんですね。
ちなみに浄土真宗では、仏弟子となった時に頂くお名前を戒名ではなく法名と呼びます。戒名というのは戒律を守った者に与えられる名前ですが、浄土真宗では上記の理由から戒名とは呼ばず、仏様の教え(法)を頂いたという意味から法名とお呼びします。
また、法名は亡くなった後に頂くものだと考えられている方も多いですが、出来れば存命の内に帰敬式を受けて法名を授与されることが望ましいです。自分の法名をいただくことで、仏弟子としての新たなスタートを切れるような気にもなります。
持戒に話を戻しますと、持戒とは自らを戒めることですので、怒りっぽい自分を律したり、サボり癖のある自分のケツを叩いたりすることも、立派な持戒なのではないでしょうか。
私はこのブログを毎日更新しようと決めてから、しばらくは文字数が少なかったですが、Facebookに転載するようになってからは2000文字弱のボリュームになってきました。毎日ネタ探しに翻弄されながら頑張っているつもりです。
しかし、これは持戒なのか、それとも自らでは戒められなかったから周囲の目に晒して他の人に戒められているのか、難しいところですが自分に甘いので良しとしましょう。
あぁ、結局持戒出来てない。やはり私は凡夫です。
南無阿弥陀仏
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