2月のお寺の掲示板
- Nakayama Ryunosuke
- 2月1日
- 読了時間: 2分
2/1のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日から2月に入りました。早い早いと毎年毎月言っている気がしますが、その早さにも漸く慣れたかもしれません。早いことは早いですが、まぁこんなもんだろうと受け止められています。
花粉を日々感じていますが、マスクを付けていれば大丈夫そうです。コロナの副産物(?)として、マスクで人と接しても失礼に当たらないという文化が出来ましたので、そこは助かっているかもしれません。
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2月のお寺の掲示板
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さて、2月になりましたので毎月恒例のお寺の掲示板の書き替えがありました。そういえば1月は、正月のドタバタできちんと報告できていませんでしたが、『謹賀新年』と書いていました。1月31日まで新年ムードでしたので、漸く替えられました。

そんな今月は、『愼終追遠』と書かせて頂きました。論語からの言葉で、そのまま訳せば『終わりを慎み、遠きを追う』となります。そして、私が読んだ本の意訳では『人が亡くなった時は厚く葬り、先祖を大切にする』となっていました。
最近の日本において、薄れてきてしまった感覚かと思い、掲示板に書いてみました。孔子は、これらを実践すれば人々の徳が厚くなり、社内全体も良くなっていくと説かれたそうですが、そうなることを願うばかりです。
書に関してですが、『愼』は意外にも『慎』が慣用(古典でよく使われている字形)でしたので、そちらを採用しました。淡墨なのでにじみを生かしたいと思い、りっしんべんの1点目を敢えて離してみました。
次の『終』は草書です。糸へんは草書になると『子』みたいな形になりますが、『慎』はつくりを大きめにしたので、『終』は偏を大きめにしてみました。
左の二文字、『追』『遠』はどちらもしんにょうがつく文字です。どう書き分けたらいいかなぁと苦慮しましたが、行書と草書、大きめと小さめ、右上がりと右下がり、という感じで仕上げてみました。個人的には、ここの書き分けができたことに一番満足しています。
最後の落款は、小さめに書いた『遠』の左側に収めました。『追』と『遠』の大小の書き分けが、ここにも生きてくる形です。
ちなみに、昨年12月に掲示した『歳暮粉多思』が、なんて書いてあるのか分からないし、意味も分からない、というお電話を頂きましたので、今月からはまた意味もちゃんと添えていこうと思います。
ということで、法善寺にお越しの際には、是非ともご覧くださいませ。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。淡墨の扱いに少し慣れてきた気がします。
南無阿弥陀仏
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