9月の声明の会
- Nakayama Ryunosuke
- 2020年9月20日
- 読了時間: 4分
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
最近、サントリーから出ている『割るタイプ』のコーヒーにハマっていて、良く飲んでいます。普通のも美味しいですが、カフェインレスも美味しく、ほぼ毎日、朝も夜も飲んでいます。カフェインレスによくあるスカスカな味ではなく、濃厚な味がするので気に入っています。
ただしかし、先日、完全にカフェイン0ではないことが判明しました。確か95パーセントカットという事ですが、では『カフェインレス』とは一体何なのか。謎は深まるばかりです。
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9月の声明の会
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そんな今夜も、カフェインレス『もどき』の『割るタイプ』を飲みながらブログを書いています。美味しいは美味しいですし、カフェインカットなので夜眠るのにも問題ありません。さすがはカフェインレスです。
お彼岸の2日目の今日は、法事が2件入っており、午後には『声明の会』もありましたので割とバタバタしておりました。お彼岸でも言い訳せず、声明の会を開催する法善寺の姿勢は素敵だと思います。
#でも8月は休んだ
『声明の会』は月に一回ある集まりで、どなたでもご参加いただけます。前半はお経や偈文なんかをみんなで称えて、後半は正信偈の解説や世間話をしています。堅苦しくない、気軽な雰囲気ですので、是非皆さんもお越しください。
そんな『声明の会』ですが、本日の後半は正信偈の『摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)已能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん)貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)常覆真実信心天(じょうふしんじつしんでんてん)譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ)雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)』の部分を開設させていただきました。
この部分をざっくりと現代語に訳せば、『阿弥陀仏の光は常に私たちを照らして下さり、煩悩の雲が私たちに覆いかぶさっていても、その光は私たちに届いているのです』という感じでしょうか。雲一面の空でも太陽の光は私たちに届いていますが、阿弥陀仏の光と私たちの煩悩もそれと同じですよー、ということです。とても分かりやすい例えです。
私は割とカメラが好きで、F値(絞り)やシャッタースピードをマニュアル調整して撮影するのが特に気に入っているのですが、『明るい室内』よりも『曇りの屋外』の方が全然光量が多いことに最初は驚きました。人間の目はその場の明るさに慣れていきますのであまり気付きませんが、カメラは機械ですので数字ではっきりと違いが出ます。『明るい屋内』で撮影している設定のまま『曇りの屋外』に出て撮影をすれば、光を集めすぎてほぼ確実に白飛びします。それだけ太陽の光は強力です。
この太陽の光が、阿弥陀仏の光と等しいと親鸞聖人は仰っているわけです。煩悩という雲霧に覆われて太陽を直接見ることが出来ないかもしれないが、その光は確実にあなたに届いていますよ、ということです。
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伝え続けること
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また今日のパートの中に『貪愛瞋憎』というフレーズがありましたので、『二河白道』のお話もさせていただきました。
こぼれ話ですが、二河白道の絵を印刷しようと思ってネットで『二河白道』と検索して画像を探していると、私のブログが一番最初に表示されました。そもそもそのブログに載せた画像もネットのどこかから拾ったものですが、今日はその画像は二次使用(三次?)させていただきました。
二河白道はとても有名なたとえ話でして、中国の高僧・善導大師によるものだそうです。ざっくり言えば、火の川と水の川があって、その間に白い道がかけてあって、そこを進んだら西方極楽浄土へ行くことが出来ました、というお話です。(雑ですみません。詳しくは、過去に掲載した東本願寺学院のレポートをご覧ください)
今日の正信偈解説は、なかなかにややこしい話でしたので全て伝わったかは分かりませんが、少しでも伝わっていれば、浄土真宗の教えが段々と染み入っていくと思っています。
仏教の話に限ったことではないと思いますが、やっぱり継続は力なりです。続けないと見えてこないこともたくさんありますし、続けないと伝わらないこともあります。もちろん1回1回に全力は注ぎますが、なおかつそれを続けることも大切です。浄土真宗の教えも、学び続けることでどんどんと深い味わいとなってきます。
10月の声明の会は、17日(日)の予定です。是非皆さん、お越しくださいませ。
南無阿弥陀仏
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