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雰囲気で成り立つもの

2/19のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は午後から暖かい気候で、春の訪れを感じました。ここからはめちゃくちゃ寒い日もなさそうですし、そろそろダウンジャケットは片付けて良いのかもしれません。個人的にはあまりモコモコと着込みたくありませんので、嬉しい限りです。


ちなみに、明日は今年初めての福岡への出稽古でございます。がっつりと頑張ってきます。


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雰囲気で成り立つもの ==================


この3月末で、お寺に戻ってきてから5年が経ちます。ちなみにですが、前職の在職期間も5年間でしたので、それを更新することになります。早いものです。


お寺に戻ってきてからは、ご法事ではもちろんですが、それ以外でもお衣(着物)を着る機会が増えました。本来であればそれが仕事着ですので、お寺で表に立っている間はずっと着ていなくてはいけないのかもしれませんが、まあそれでも一般の方に比べれば長い時間着物を着ているはずです。


最初のころは『着物って動きにくいな』と思っていたのですが、最近はあまり思わなくなりました。これは別に『着方が上手くなったので動きにくさがなくなった』ということではなく、『動きにくいことに慣れた』、または『着物での動き方が分かってきた』という方が正確かもしれません。普段着とは違い、着物を着て全力疾走はできませんし、階段の一段飛ばしも怖くて出来ませんので。


『着物ってこういう動きしかできないよね』と私は受け入れたわけですが、『これってこういうもんだよね』、と受け入れるのは意外と面白い発想だったりします。例え話が合っているか分かりませんが、野球では一流打者でさえ打率4割を越えられません。『高跳びで5メートルは超えられない』という感じの人体のフレーム的に無理な注文ではないはずですが、そこにはある種明確な壁があって、それによって『野球では3割打てれば一流打者』という認識が一般的になっています。


野球以外でも、特に日本人は古くから、良くも悪くもこの手の『受け入れる』という行動に長けているのかもしれません。『年長者が偉い』とか、『長男が家を継ぐべき』とか、『お祭りは守るべき文化』とか。まあこれらのステレオタイプは私の個人的な主観ですので、そもそも正しくないのかもしれませんし、歴史的な背景とかでそれぞれ明確な理由があったりするのかもしれませんが、『ずーっとそうだったから』という雰囲気的なもので物事が進められているケースは多分に見受けられます。


ただ段々と、海外の文化や価値観が入ってきたからか、そういった雰囲気的なもので物事が進まなくなってきているところもあります。お寺の世界も影響を受けているのは間違いなくて、『分かってまっしゃろ』と簡単に進めることが難しい場面も増えてきた印象です。核家族化によって、そういった雰囲気が世代を跨いで受け継がれることが稀になってきました。


何をするにも、これからのお寺は甘えてられないなぁと思う毎日です。ただだからといって、こっちから明確な答えを示すのも何だか不躾な感じがします。その間を上手く歩きたいものですが、難しいものですね。古い日本家屋とか行くと『あ、こっちは入っちゃいけない場所だな』みたいなのが空気で分かったりしますが、そんな感覚を作っていきたいですね。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。なんだか行く当てのないブログになってしまいました。すみません。



南無阿弥陀仏

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