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離れられない苦しみ

3/12のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ボイスクリニックに行ってから、およそ1週間が経ちました。クリニックでは、まだ現状を見てもらっただけなので何の進化もありませんが、最近は花粉症も相まって喉の調子が宜しくない日が続いております。鼻水を流し、痰を出すために、水分をたっぷりとっています。それに加え、はちみつと生姜チューブを溶かしたお湯を朝起きてからと夜寝る前の最低2回は飲み続けています。


スギ花粉のピークも残すところ僅かなはずです。今年は確かにきつかったですが、終わりが見えてくれば気持ちが保てます。引き続き頑張っていきます。


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離れられない苦しみ

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父が亡くなってからというもの、自分自身の死についても考える時間が長くなりました。


平均寿命通りに人が亡くなるのであれば、父はまだ亡くなっていなかったはずです。また、役割が残っていれば亡くならないのであれば、父はまだ亡くなっていなかったはずです。ただ、そんなこちらの都合はお構いなしに、死というものは突然訪れるものです。


父の死からそんな当たり前のことをまた改めて教えられたわけで、今自分が生きていることに対して感謝をしなければいけないな、そして、いつ死が訪れてもおかしくないんだよな、と思うようになりました。今年に入って3回も鼻からカメラを突っ込んでいるのには、そういう気持ちがあるからに他なりません。


そういう想いがあるからか、若い方が癌になったとか、事故で亡くなったとか、そういうニュースには敏感になった気がします。私より若い方がステージ4の癌を患った、というニュースを見れば、心から『頑張って打ち勝って希望を見せて欲しい』と願っています。ただ時にはそんな願いも虚しく、悲しい結末を迎えてしまい、そういったニュースに触れると本当に落ち込んでしまいます。自分もどうなるのか分からない、と。


そもそも生きようと強く願うこと自体が仏教的に言えば煩悩ですので、捨て去るべきものなわけです。そういった執着から離れなければいけない、と頭では分かっているつもりでも、心が全然追いついてきません。そうは言われても、今自分が死んだら、残された家族は、お寺は、どうなってしまうんだ、と思うわけです。


息子が一人前になってお寺を継いでくれるようになったら、この苦しみからも少しは解き放たれるような気はしますが、それでもゼロにはならないでしょう。一切皆苦と言いますが、苦しみといかに付き合いながら生きていくのか、が人生なんだなぁと改めて実感する今日この頃でございます。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。四苦八苦を味わう毎日です。


南無阿弥陀仏

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