言葉や仕事に引っ張られる自分
5/14のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
昨日に続き、今日も空き時間にセコセコと書道の課題制作をしておりました。今日で一応、全課題の制作が終わりましたが、納得できる出来かと言われたらまだまだです。
創作は正解が無いのでゴールは無いですし、臨書は正解があるだけに相違点がたくさん出てきて終わりません。明日の午前中はまだお寺にいますので、可能な限りあがいてみようかなと思っています。先月がふがいない結果でしたので、今月は良い結果になると嬉しいのですが。
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言葉や仕事に引っ張られる自分
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こんな毎日ブログを書いているお坊さんは私くらいかもしれませんが、他の場面でも、お坊さんは誰かに何かを伝えることが特に多い職業な気がします。まあ逆に言えば、誰かに何かを伝えない職業を探す方が難しいかもしれませんが、お坊さんは法話なりなんなりで明快にそういった場面に遭遇します。
色々な話をしていると、自分の言葉に自分の行動が引っ張られるということが多々あります。『あんなに偉そうなこと言ったんだから、自分も実践しないと』とか、『やるって言ったからやらないと』とか。
知らず知らずのうちに引っ張られることもあれば、引っ張られるのを見越して発言することもあったりします。何にせよ、言葉はそれだけ大きな力を持っているということです。心の中で思っていてもだめで、発信なり発言なりしないと引力は弱めです。
その他にも、仕事に自分が引っ張られることもあります。確か三井物産の社訓的な言葉だった気がしますが『人が仕事を作り、仕事が人を磨く』と言われる通りだなぁと思います。
ルーティンワークではなく、今の自分では手に負えないんじゃないかと思う仕事に飛び込んでみる。するとそこで活躍するには成長しなければいけないので、自ずと成長していく、みたいな感じです。先日、とあるお寺の葬儀で式務をさせていただきましたが、その時の私にとっては『手に負えない仕事』でしたので、大いに成長出来た気がします。
今の自分のキャパでは無理そうなことに手を出すのは、最初はやっぱりビビります。勝ち筋が見えない道を歩むわけですから、一体どうすればいいんだろうと恐縮してしまいますが、一歩一歩進んでいけば意外といけちゃったりします。
また、今後のことも考えて、この年齢で何かにビビッて立ち止まるなんてのは、勿体ない以外の何物でもありません。迷っている時間が勿体ないし、経験しないことが勿体ない。もちろん、絶対にありえませんが『プロ野球の球団を経営してくれ』みたいな、あまりに無理なことには挑戦しませんが、手が届きそうで届かなそうで、くらいの距離間の物なら是非とも挑戦していきたいものです。
建替えが終わったら、やりたいことが色々とあります。一つ一つ挑戦してみて、何か一つでも形になればいいなぁと思います。頑張りたいです。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。今日のブログは未来の自分を引っ張ってくれるはずです。
南無阿弥陀仏
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