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親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る⑦

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


冒頭でいきなりですが告知をさせて頂きます。


父のこともあり延期となっておりました、第2回『宗教を知ろう』ですが、年が明けて1月23日㈯の14時から改めて開催させていただくこととなりました。楽しみにしてくださっていた方々には大変お待たせしまして申し訳ございませんでした。


奇しくもテーマは『死生観』と『性差』です。父を亡くした今の私にとっては、また色んな想いを持ちながら司会をさせていただくこととなりそうです。


元々お申込みいただいていた方々には、ご連絡をさせて頂きました。新規でのお申込みにつきましては、会場での観覧は締め切っておりますが、動画配信は承っております。お電話なりメールなりLINEなり、何なりとお申し付けくださいませ。


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親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る⑦

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さて引き続き、2年前の年末に行った『親鸞聖人の足跡を辿る旅』を改めて振り返っていきます。


毎回書いていますが念のため、、、


今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。ちなみに写真は、全て私が(多分)撮影したものです。

親鸞聖人が歩んだとされるルートを図式化したものがこちらです。(ざっくりとなってしまい恐縮ですが)京都でお生まれになり、流罪で越後に流され、関東に向かい、そして京都に戻られて御遷化、というのが親鸞聖人の歩まれた道です。今日はここから、関東から帰洛に向かう道中を紹介していきます。


行きますよ?

#フリーザ

#伝わりにくい



『宝福寺』(群馬県邑楽郡)

~親鸞聖人が絶対他力に気付いた場所(?)~

↑正門

↑蔵

性信房像


群馬県邑楽郡板倉町板倉にある真言宗豊山派の寺院です。昭和35年に、このお寺から親鸞聖人の高弟・性信房の像が発見されて以来、恵信尼(親鸞聖人の妻)の書状にある浄土三部経を千回読もうとした場所は、この寺の可能性が高いと見られています。この像は調査され、延文6年(1361)に3度目の彩色が施されたことが知られ、性信房が没した直後に造られていることが分かっています。


親鸞聖人が、善光寺から茨城県笠間の草庵へ向かう途中に立ち寄ったと言われるお寺で、現在は真言宗ですが、聖人ご在世の当時はお寺の宗派というのはあまり重視されておらず、親鸞聖人もここに留まることが出来たと思われます。また聖人は、浄土三部経を千回読もうとしたが無駄だと察し辞めたことから、自力(自分の力で救われようとすること)ではなく絶対他力(阿弥陀仏の御力によって救っていただくこと)に気付いたのも、この場所である可能性が高いと言われています。


実は私が行った旅で、一番最後に立ち寄ったのがこちらのお寺でした。誰かに強制された旅ではありませんでしたが、『やっと終わる』という充実感に満ちながら見学させていただきました。



『妙源寺』(愛知県岡崎市)

~親鸞聖人帰洛の道~

↑正門

柳堂(国指定重要文化財)

↑本堂


愛知県岡崎市大和町字沓市場にある真宗高田派の寺院です。寺伝では親鸞聖人が関東から帰京の際に、ここ三河国矢作(やはぎ)に17日間滞在して教えを説かれたことに始まると伝えられていますが、実際には聖人の弟子専信房とその弟子円善によって教えが弘められたと考えられています。


開基は円善の弟子念信で、15世紀前半の様式を持つ御堂が現存しています。毎年8月7,8日の虫干しには、『選択相伝の御影』や『善光寺如来絵伝』等、数多くの宝物が公開されているそうです。私が行ったのは12月ですので、完全に間違えました。


『選択相伝の御影』とは、親鸞聖人の師である法然上人の絵像のことです。この絵像の中では、法然上人はひげを剃っておらず、きちんとした身なりではないそうです。直接拝見したかったのですが、最近このような古い資料や宝物の盗難が相次いでいるとのことで、公開する日を限定しているそうです。とても悲しいことです。



『錦織寺』(滋賀県野洲市)

~親鸞聖人帰洛の道~

↑正門

↑阿弥陀堂

阿弥陀如来坐像


滋賀県野洲市木部にある仏教寺院で、真宗木辺派の本山です。錦織寺は『きんしょくじ』と読みます。嘉禎元年(1235)、親鸞聖人が関東からの帰洛の途中、美濃国の正蓮寺で毘沙門天の霊告を受けてこのお寺に立ち寄り、常陸国滞在中に霞ヶ浦にて感得した一尺八寸の阿弥陀如来座像をこの地に安置したとされています。


琵琶湖のすぐ近くにあるお寺で、親鸞聖人が逗留されていた時には、田植えする農民たちに、経文や讃文等に節をつけた田植え歌をもって教化されたと言われています。ご本尊は一度火災に遭ってしまったので、真っ黒になってしまっていました。



ここまでで、2年前の旅で訪れた場所の内、『親鸞聖人の足跡を辿る』編を7回に渡ってお送りしてきました。気付けば7回になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?


1人旅は好きなのですが、さすがに11日間は長すぎました。3日目くらいでホームシックになりましたが、京都で前職の時の後輩に会ってご飯を食べたことで気が紛れました。北陸ルートに乗ってからは、都会では味わえない景色ばかりで、喧騒から離れた旅をとても楽しめました。改めて、こういった旅に出させてくれたお寺と妻に感謝です。


明日からは『真宗所縁の場所を巡る旅』編がスタートします。まだまだ振り返りは終わりません。お楽しみに。



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