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葬儀の度に感じること

11/22のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日書作展にて頂いてきた書道熱そのままに、今日も1枚書くことができました。なんとなく昨日の方が良い出来だった気がしますが、創作というのはそういうものですので仕方ありません。


とは言っても、ここで書くことを止めてはいけません。一回下がってしまっても、書き続けなければ上がることは出来ません。ボクシングでも、新しいスタイルに挑戦する時は、一度今よりも弱くなりますが、努力を続けることによって強くなっていくみたいです。


ということで、一日一枚生活、可能な限り続けていこうと思います。


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葬儀の度に感じること

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本日は昨日に続き、近所のお寺さんの葬儀がありました。司会をやらせていただいたり、細かいところで裏からサポートをする役割を頂きましたので、本日も私なりに務めさせていただきました。ひとまず無事に終わり、ホッとしています。


曲がりなりにも私がお寺に入ってからの5年半の間で、お寺さんの葬儀に参列したりお手伝いしたりすることが何度もありました。そういったことを経験していく内に自分の中でも知識は増えていくわけですが、葬儀の意義と言いますか、本質的なところは見失ってはいけない、と毎回強く意識しているつもりです。知識があれば表面を取り繕うことは出来るようになってしまいますので。


ただ、葬儀の意義というのは何とも難しいもので、一言二言で言い表す事は出来ません。宗教家としての振る舞いはもちろんありますし、私なりの持論もあるつもりですが、極論言えば、葬儀の数だけ意義があるのかもしれません。


ご遺族の方々のお顔や姿勢を見て、どのような葬儀にしたいのか、どう見送りたいのかを考えながら、それに沿った動きができればなぁと思っています。あまりこちらの意見を強く押し出して、ご遺族の気持ちを削ぐことがあってはいけません。


そんなことを考えながら葬儀に臨むと、終わってからは毎回反省会です。特に最近は、葬儀屋さんがおかしな行動をしてしまうと、そっちに気と心を持っていかれることもあり、それが態度に出てしまっているんじゃないかと思うこともしばしばです。いくら葬儀屋さんに非があっても、それをご遺族に向けてしまうのは違いますので。


完璧な葬儀はないと思いつつも、完璧を目指してまた精進していこうと思います。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。良い経験をさせていただき、誠にありがとうございました。



南無阿弥陀仏

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