自分と会話する
8/14のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
最近週三回くらいで接骨院に通っています。きっかけはぎっくり首でしたが、治ってからも姿勢矯正のために施術を受けています。もともと体が硬いのですが、仕事柄地べたに座る時間が長いこともあり、姿勢の悪さはずっと気になっていました。また左肩甲骨に痺れが出ることがあり、それも取り除くのが狙いです。
まだまだ理想には遠いところにいますが、おかげさまで徐々に改善されているのが実感できます。以前よりも背筋を伸ばした姿勢でいるのが辛くなくなりましたし、左肩甲骨の痺れも弱くなってきました。特に左肩甲骨の痺れには、股関節、や内転筋(内太もも)を伸ばすのが効いているみたいです。人体ってのはいろんなところで繋がっているんだなーと感心してしまいます。
引き続き通いながら、ゆくゆくは卒業できるように頑張ります。人生ここらへんで身体をリセットできるのは嬉しいです。
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自分と会話する
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先日とあるタイミングで一人で車の運転をしている時に、スマホを持っていないことに気が付きました。まあお寺にあるだろうということで別に焦りはしなかったのですが、車内ではいつも何かしら聞いているので、なんとなく手持ち無沙汰というか、そんな感覚に陥りました。ただ無いものは無いので仕方ないかと思いながら、ラジオにチャンネルを合わせるのも面倒なのでそのまま何も聞かずに車を走らせました。
結果的に、外からの情報がない分、自分自身とゆっくり話する時間になった気がします。昔キムタクが『さんタク』という番組で、遅刻している明石家さんまさんを車内で待つシーンがあったのですが、『意外とこういう時間で、仕事について考えたり、いろんなことを振り返ったりすることが出来るから、好きなんだよね』ということを言っていましたが、正にそんな感じでしょうか。
自分自身と会話をすると、自分でさえ知らなかった自分に出会えたりします。そんなこと思ってたのかとか、それが嫌だったのかとか、そんなことを振り返れるわけです。人に対して『何考えてるかわからん』とイライラしてしまうこともありますが、自分自身でさえ何考えてるか分からないんですから、そりゃ他人の考えてることなんてわからないよな、と反省しました。
仕事柄、法事や葬儀なんかがあると、皆様の前でお話をさせて頂きます。当然ながら主に仏教のことについてお話しするわけですが、皆様に話をしながらも、自分自身も聞いているわけです。御文なんかが特に顕著かもしれませんが、蓮如上人のお言葉を読みながら、自分自身も聞き、仏法をいただいているわけです。こちらから偉そうに『聞かせてやってる』ということではありません。
自分との会話や、自分の話した言葉を聞くというのは、世界を深める意味でとても良いことだと思います。最近は子供もいて騒がしい毎日を過ごしておりましたので、スマホを忘れたことで思いがけず心静かな時間を過ごすことができました。またやってみます。
今日もブログをお読みいただきありがとうございました。座禅とかやってみたいな。
南無阿弥陀仏
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