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繋がる記憶とご縁

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日はお礼回りDay2でございました。三県を中心に回る予定でしたが、神奈川県までは辿り着けずまたしても後日へ繰り越しとなってしまいました。来週時間を見つけてお邪魔致します。ちなみにこちらの手違いなども色々ありまして、お伺いするべきなのに出来ていないお寺もたくさんあります。本当に申し訳ないのですが、ただただご容赦いただけると幸いでございます。


昨日とは違い自分の運転でしたので車酔いはしませんでしたが、やっぱりとても疲れました。昨日はお昼抜きでしたが、今日はドライブスルーでKFCのツイスターセットを食べられました。美味しかったです。


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車買い替えるまでを理論立て

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今回もそうですが、自分で車を運転するときの楽しみは、車内で何を聴くかです。音楽であったりラジオであったり、その時の気分で決めますが、何かを聴きながら運転をするのが好きだったりします。


アメリカに留学していたとき、住んでいた町からNBAを見るという目的のためにクリーブランドへ車で16時間かけて行ったときは、『松本人志の放送室』を16時間ぶっ続けで聴いて行きました(1h x 16回)。空港へ向かう時は、高速道路に入るタイミングでラルクの『Driver's High』を聴くのが定番でした。


運転以外でも、留学したての頃はよくスキマスイッチを聴いていました。またその頃、RADWIMPSも段々と流行り始めていたので聴いてましたし、周りに影響されてSEAMOやFUNKY MONKEY BABYSもよく聴いていました。


音楽ってとても不思議な力を持っていて、今でもとある曲を聴くと、一番聴いていた頃の当時の気持ちだったり生活だったりが思い出されます。スキマスイッチの『ボクノート』を聴けば大学の図書館を思い出しますし、SEAMOの『Continue』を聴けば大学の町にあった公園を思い出します。


匂いも同じで、とある香水の匂いがすれば思い出すこともあるし、新車の匂いを嗅ぐと(車酔いすると同時に)少年野球での移動を思い出します。


人間の記憶って不思議な形で繋がっているんだなーということを、今日車で音楽を聴きながら改めて思いました。別に過去を生きているわけではありませんが、昔の記憶から活力をもらう時だってあります。


父がいない生活にも慣れてきましたが、やっぱりふとした時にいないことを実感します。今回の御礼回りでも、初めて行くお寺があったのですが、そこのとてもキレイなお庭を目にした時に『あそこのお寺、庭が凄いキレイだったって親父に言おう』と思った時がありました。その時に『あ、親父いないんじゃん』と思い、とても寂しい気持ちになりました。そもそも誰の忌明けの御礼回りなのか、頭では全然理解できていないみたいです。


まだ終わっていませんし全て回り切れている訳では無いのですが、今回の御礼回りは父のご縁を改めて紡いでいく作業なのかなと思います。行く先々で父の話を伺い、そして『頑張ってください』と声を掛けていただけます。父だけでなく、その先代や更に先代から紡がれている御縁を、私の代で終わらせることなくまた下に紡いでいかなくては、という気持ちになりました。


そして最近、はっきり言って死ぬのが怖いです。私が今死んでしまうと、妻や息子や母や祖母や叔母にめちゃくちゃ迷惑をかけてしまいます。車も以前より安全運転をしていますし、体調管理にも気を付けています。これはコロナの副産物だと思いますが、手洗いしまくっているおかげか、毎季節の変わり目に風邪を引く私が、ここ半年は風邪を引いていません。これを続けていこうと思います。


ただ車で言えば、自分が悪くなくても事故に巻き込まれるパターンもあります。ですので、少し落ち着いたらお寺の車をもう少し安全性の高い車に買い替えようと思っています。今乗っているのは軽自動車で、ボディが薄いので。


また改めてご報告しますので、お楽しみに。


 

南無阿弥陀仏

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