絶好調の日なんて無い
3/23のブログです。
こんにちは。
法善寺住職の中山龍之介です。
お彼岸も6日目が終わり、残すところあと1日となりました。過ぎ去ってしまえば早いものですが、昨日のWBC決勝もあったりして、普段よりも忘れられないお彼岸になったかもしれません。
そんな今日はあいにくの空模様、境内の木蓮も泣いていました。昨日よりも蕾が閉じてしまっていて、開花がまた少し先送りになってしまったようです。木蓮は開花するとすぐに散ってしまいますので、楽しみが先延ばしになって良かった、と捉えようと思います。
明日がお彼岸最終日、引き続き不安定な天気が予想されますので、お越しになられる際にはどうぞお気をつけ下さい。
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絶好調の日なんて無い
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花粉症ということもあるでしょうが、ここ最近は特に『体調が万全の日がないなぁ』と思いながら生活しています。朝起きたら鼻腔が詰まっていたり、喉のどこかが腫れていたり。それ以外にも、腰が少し痛かったり、膝が少し痛かったり、小さい口内炎ができていたり。『体中、どこにも不安がありません!』という日なんて無いんじゃないでしょうか。
年齢によるものなのか、そもそも私の体が弱いのかは分かりませんが、きっとこれは受け入れて生きていかないといけないんだろうなと覚悟しています。もちろん不調が良くなるように病院に行ったりカイロに行ったりはしていますが、所詮はイタチごっこです。どこか治れば、他のどこかが痛くなるだけで、終わりはありません。
そんな体が嫌だなぁと思うのですが自分から逃れることはできませんし、長い目で見ればそもそも人生というものはそういった苦しみと付き合っていく旅だとも言えます。仏教には一切皆苦や四苦八苦という、苦しみを表した言葉があります。一切皆苦なんてのは字の如し、『一切、皆苦しみ』という意味ですし、四苦八苦は『生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦』という8つの苦しみの総称です。つまりは、『人生って苦しいんですよ』と言っているわけです。
若い頃にはなかなか気付かなかったことですが、この歳になってくると身をもって、じわじわとその意味を理解することができます。そして、もちろんこの先にも苦しみは増えていくんでしょうから、ここらへんで苦しみとの付き合い方を覚えた方が良さそうです。まあそこに普遍的な答えはないのでしょうが、まずは『苦しみと付き合う』という覚悟を持っておくのが良いのかもしれません。
仏教には、諸行無常や諸法無我といった言葉もあります。諸行無常は『何事も変化している』という意味で、諸法無我は『絶対的な、普遍的なものなんてない』という意味です(#かなりざっくりですが)。この2つは苦しみにも当てはまりますので、要は自分の捉え方次第という意味にもなります。苦しみも受け入れられる、寛大な人間になりたいものですが。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。明日はどこが痛いのかなぁ。
南無阿弥陀仏
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