百味の飲食 研修会
- Nakayama Ryunosuke
- 4月24日
- 読了時間: 3分
4/18-4/24の週ブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
漸く花粉が終わったのか、今秋月曜に処方された鼻炎の薬が効いているのか、理由は分かりませんが、ここ数日は花粉を感じずに過ごすことが出来ています。暖かくなってきたし、マスク無しで自転車に乗るのが気持ちの良い季節になってきました。本当に嬉しい。
そんな今日は、書道の同人会書作展への出品締め切り日でございました。個人的には、今までで一番の大作を書かせていただき、短期的でしてたが集中して取り組むことが出来た気がします。どういう結果になるかは分かりませんが、出来る限りのことは出来たかな、という想いです。
審査員も人ですので適当な言葉ではない気がしますが、あとは人事を尽くして天命を待つ、という心構えで臨むのみです。
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百味の飲食 研修会
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さて、昨日のことになりますが、研修のために京都に行ってまいりました。例のごとくの日帰りで、他の方からは『たまにはゆっくりしていきなさいよ』と有難い声を掛けていただきながら、終電の新幹線で帰ってきました。
この度の研修会では、百味の飲食(おんじき)と呼ばれる、葬儀などに元来使われているお供え物についてでした。話し手は、伝統を受け継いでこられた京菓子司・末富さん。末富さんのご主人はご高齢のため、これが最後の機会かもしれないとのことで、貴重なお話をお伺いすることが出来ました。お話ししている姿を見ると、まだまだお元気そうでしたが。

元々のルーツをたどれば、廃仏毀釈以前の嘉吉祭(奈良)にて、その原型が確認されるそうです。様々な物をお供えする、ということで百味と呼ばれているのかと思っていましたが(百貨店的な)、正式には1基1味、本当に100基(50対)を拵えるそうで、昔は徹夜をして作っていた、と末富さんは仰っていました。
三方と呼ばれる台は本来は銀箔を貼るものであるとか、銀紙で作る造花が最近はやけにリアルになってきたとか、時代を感じさせる数々のお話でした。こういったお話は途絶えさせることなく受け継いでいかないといけませんね。直接拝聴出来て、有難い限りです。
セレモニーホールで務めることが多くなってしまった昨今の葬儀事情では、百味はあまり登場しないかもしれません。ただ、だからと言って荒廃させていいものではありません。法善寺でも他のお寺さんの葬儀では、きちんとお飾りするようにしていますし、せめて自坊でご門徒さんの葬儀を務める際には、きちんと百味をご用意するべきだと感じました。
全て古来の通りにやるとなると、確かに若干ハードルが高いかもしれませんが、元の型を知っておくのは必要なことです。知らずにやらないのか、知っているけど様々な事情を鑑みて出来ないのか、その二つは大きな違いがあるはずです。出来る限りのことをする、というのが大事なはずです。
ここ数年でも、他のお寺さんの葬儀の際に百味を取り出してお飾りしていますが、様々な細かいところで疑問に思っていたことが晴れる研修会となりました。今後は私も、出来る限りのことはさせていただこうと思います。貴重な機会を頂きまして、誠にありがとうございました。
南無阿弥陀仏
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