無知の自覚

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

昨日になりますが、息子が初めての寝返りを打ちました!来週、生誕4ヶ月になりますので、順調といったところです。ただ、お寺に置いてある簡易ベッドだと狭くなってきてしまい、今日は日中落ち着きませんでした笑 お寺の事務所もそんなに広くないので、困ったものです。

さてさて、昨日のブログから引き続きまして、今日は『無知の自覚』について書いてみようと思います。

昨日のブログでは、信仰の入口はまず、自分自身が無知であることを自覚することから始まる、みたいなことを書いた気がします。仏教では、真実が見えない状況のことを無明(むみょう)と言います。明るく無い、と書きますので、仏様の智慧の光が届いていない状態を指します。

人間というのは、とても弱い生き物です。楽な方に流れてしまいますし、良い人になろうなろうと思っても、そして良い人の振りをしてみても、心の中ではどうしても悪の部分が出てきてしまいます。

例えば、成功している人を見て『素晴らしい、あの人は頑張ってたから成功に値する』と絶賛している人がいたとして、もちろんその気持ちも本心なのでしょうが、『いつか失敗すればいいのに』という気持ちを完全に0にすることは出来ないと思います。仏教では、これを煩悩と捉えます。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、比叡山で様々な厳しい修行に打ち込まれました。しかしそれでも、こういった煩悩をご自身の心からどうしても取り除くことができない、と悩まれました。他人を妬み嫉む、この気持ちを完全に消すことがどうしてもできない。自分は悪い人間だ、どうやったって地獄に落ちるに決まっている、そう考えていたところに、阿弥陀仏の教えに出遭われたわけです。

自らの無知を自覚したあと、そんな自分でも救ってくださる阿弥陀仏という仏様がいる。これを知ったとき、親鸞聖人の心は、ぱーっと晴れやかになったはずです。

もちろん、自分は悪い人間だ悪い人間だ、、、と言ってネガティブになりすぎることもよくありません。そんな悪い人間であるならば、少しでも良い人間になれるように努力しなければいけません。阿弥陀仏がいるからといって、現状に胡座をかいていてはダメなわけです。

特別な修行がない浄土真宗ではありますが、日々こういった気持ちを持ち続けることが何よりの修行です。本願寺学院で、とある先生が『仏にはなれないけど、仏のような人にならないといけない』とよく仰っています。

無知を自覚してからどう歩むのか、それを宗教は教えてくれるはずです。ご興味のある方は、是非お寺にお越しください。

南無阿弥陀仏

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