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ようやく掲示板の書を書けた日

10/5のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日はバスツアーの申し込み締め切り日でした。申し込みの集計は主に母に任せていましたので、正確な人数は今把握しておりませんが、今までで一番多くの方々に参加のお申し込みを頂いたと思います。参加のお申し込みを頂いた方々、本当にありがとうございます。


本番までも一週間を切り、こちらの準備も少しずつ慌ただしくなってきた気がします。私の準備としては、当日の車内でしゃべる内容を求めたり、あとできれば築地本願寺の下見にも行きたいところです。スケジュールと体調と相談しながら、なんとか時間を捻出するつもりです。


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ようやく掲示板の書を書けた日

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さて、そんな今日ですが、ようやくお寺の掲示板用の作品を書くことができました。毎月掲示板を替えておりまして、できれば1日にやっている仕事ですが、あれやこれやと5日になってしまいました。楽しみに待ってくださっている方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ありません。


ということで、今月の掲示板ですが、『朝(あした)には紅顔ありて 夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり』と書かせていただきました。蓮如上人が書かれた御文の中でも一番有名であろう、白骨の御文からの言葉でございます。


紅顔というのはその字の如し紅の顔ですので、血色が良く元気そうな顔、という意味です。つまり、朝にはとても元気そうにしていても、夕方には亡くなっているかもしれない、というのがこの言葉の意味になります。我々が現世で味わう諸行無常が端的に言い表されているのではないでしょうか。


白骨の御文は、本来であれば還骨勤行で読まれる御文です。通夜を終え、葬儀を終え、火葬を終え、お骨となって戻ってきた故人の方と、そのご遺族の前でお読みするものです。つい数日前まで命のあった方が、今はこうしてお骨となっている。なんと修行無常なものでしょうか、この世界は。


恥ずかしながら、この言葉を選んだ背景をうまく語ることはできません。実は今月は漢詩からのワンフレーズを書いてやろうと思っていまして、色々と探していました。


よしこれを書こう、というところまでいって筆までとったのですが、ふと書斎にある本のタイトルが目に入ってきてそちらに吸い込まれた形です。そのタイトルこそが『朝には紅顔ありて』でした。


とても有名な言葉なので、今までも当然書こうと思ったことはあったのですがなぜか至らず、そして今回はなぜか至ったという感じです。その理由をうまく説明はできません。言葉を超えた世界が、そこにはあったのかもしれません。


書いたはいいものの、今日は雨でしたので貼り出すことはできておりません。明日以降、お越しになることがありましたら、ご覧いただけるとありがたいです。もしお気に召しましたら、そのことを伝えていただけると大変励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。ようやく秋らしくなってきました。



南無阿弥陀仏

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