浄土真宗所縁の場所を巡る旅を振り返る④
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日はクリスマスイブですね。特に何かするってわけでもないのですが、妻の風習に倣って結婚してからはケンタッキーのチキンを食べています。相変わらずオリジナルチキンは美味しゅうございました。
今年も残すところあと一週間です。今年できることは今年の内に。引き続き頑張っていきますぞい。
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浄土真宗所縁の場所を巡る旅を振り返る④
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さてさて引き続き、2年前の年末に行った旅の中から『浄土真宗所縁の場所』を振り返っていきます。
テーマは変わっても、注意書きは変わりません。あしからず。
今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。ちなみに写真は、全て私が(多分)撮影したものです。
今日は、親鸞聖人の師である法然上人にまつわるお寺や、全国的に有名なあんなお寺をご紹介します。
では、行きます。
●『知恩院』(京都市東山区)
~親鸞聖人の師・法然上人のお墓~

↑三門

↑源空大師(法然上人)の御廟に続く階段

↑源空大師(法然上人)の御廟
京都市東山区新橋通にある、浄土宗鎮西派の総本山です。親鸞聖人の師・法然上人が最晩年を過ごし、御廟(お墓)が造られたことに始まっています。
徳川幕府の時代になり、徳川家康が慶長13年(1608)から寺地を拡大し始めました。そのために本願寺の大谷廟堂(西大谷)は五条橋東6 丁目の現在地に移転することになりますが、結局旧地も崇泰院(そうたいいん)という知恩院の塔頭(たっちゅう)として残されています。知恩院の本堂(御影堂)は寛永16年(1639)、三門は天和7年(1621)、勢至堂は室町時代の享禄3年(1630)に建造されています。また日本有数の大鐘は、寛永17 年(1636)に鋳造されています。どれもこれもざっと300年以上の時が経っていて、歴史の深さを感じます。
円山(まるやま)公園や八坂神社と隣接した場所にあり、昔から京都の人々が集まった場所であったのが窺えました。本堂などのいくつかの建物は、2018年9月の台風の被害もあり修復中でした。
●『清水寺』(京都市東山区)
~参篭のお寺~

↑仁王門

↑阿弥陀堂

↑平成30年の漢字『災』
京都市東山区清水1-294 にある北法相宗大本山です。寺の創建年代は不明ですが、『清水の舞台』と称されるような巨大なお堂が作られるようになったのは、平安時代の初め坂上田村麻呂によってであるそうです。ご本尊の千手観音は、33年に一度だけ御開帳される秘仏で、普段は御前立ちが拝まれています。平安時代末には参籠の代表的なお寺として、『今昔物語』にその夢告の話が多く綴られている。現在の本堂は、寛永10年(1633)に徳川家光の寄進によって再建された御堂となります。
日本で一番有名なお寺でもある清水寺ですが、昔は参篭の寺として知られていて、親鸞聖人は六角堂だけでなく、この清水寺で参篭した可能性があります。私が訪れた時は本堂の外観が修復中でしたが、中には平成30年の漢字『災』が飾られていました。
阿弥陀堂の看板に書かれている『重文』は『重要文化財』の略だそうです。このくらいのレベルになると『重要文化財って毎回書くの大変だから略しちゃおう』という気持ちになるんでしょうか。住む世界が違います。
●『二尊院』(京都市右京区)
~七ヶ條制誡を収蔵するお寺~
