法善寺の歴史


こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


昨日から一転、本日は快晴でした。お寺の境内の草木たちも青々としてきて、春の訪れを感じます。


そんな中、妻がプレミアムモルツの神泡サーバーなるものに応募して、見事一発で抽選を突破しました。これで自宅にいながら、お店のような泡のビールが楽しめます。久々に良いニュースが聞けました。あざます。


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『法善寺の歴史』のページを更新

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なんかやることないかなーと考え、法善寺のホームページ上で『法善寺の歴史』を更新しました。以前のパンフレットに載っていた文をほぼそのまま転用して、写真をいくつか付け加えて作り直しました。自分のお寺ながら、改めて目を通すと勉強になります。


以前のパンフレットは、平成26年(2014)に私の祖父である前住職が文字を起こし、それを私がイラレを使って編集して作りました。同年の11月3日に法善寺で厳修した、親鸞聖人750回御遠忌および法善寺開創400年記念の法要のために作られたのですが、当時私は一般企業に勤めながらでしたので、このパンフレットを制作するのが大変だったのを覚えています。改めてそのデータを見てみると、最終更新時間が夜中の3時頃でした。『間に合うのか?』と、珍しく強めに祖父に心配されたのを覚えています。


この作業は大変でしたが、このおよそ5か月後に祖父は亡くなりましたので、最後の共同作業という事で良い思い出にもなっています。ちなみに私が正式に副住職となったのも、この法要のタイミングでした。


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法善寺の歴史を簡単にご紹介

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法善寺は、江戸幕府が始まったのとほぼ同時期に、岡崎の上宮寺というお寺から出てこられた了賢という僧侶によって創られたそうです。1609年ですので、400年以上の歴史があることになります。


その後、明暦の大火を含めた大火事に何度も遭いながら、時には場所を変えて、今日の東上野に落ち着いています。第二次世界大戦下においては、運よく東京大空襲の火災からは残り、その本堂が浅草寺の仮本堂として移築されたそうです。ちなみに現在でも『淡島堂』として浅草寺境内に残っていますので、御立ち寄りの際には是非ご覧ください。


私は第21世住職候補となっていますが、法善寺の血縁は一度途絶えています。というのも、第12-14世住職の三人が18年間という短い期間に相次いで亡くなっているからです。


その後、第16世住職として品川の正徳寺というお寺からやってきたのが理賢という人で、これが私の曽々祖父(ひいひいおじいさん。私のおじいさんのおじんさん)になります。


ちなみにこの理賢さんは、昭和の初め、現在都内で見かける墓地の形式である『特設墓地』というのを考案したそうです。当時、東京が進めようとしていた墓地の郊外移転計画を頓挫させた張本人で、今日都内に墓地があるのは、このおかげだそうです。そんな人が先祖というのは、なんだか不思議な感覚です。


当時、この墓地郊外移転計画はかなり本気だったそうです。火葬が今ほど上手くできなく、衛生的にも人が多い都内に墓地を作るな、というのが趣旨だったそうで、法善寺の隣にあったお寺は亀有に引っ越し、法善寺も赤羽に土地を買って引っ越す準備を進めていました。しかし前述の通り計画が頓挫した結果、法善寺は隣の空いた土地を買って境内を広くすることが出来、赤羽に購入した土地にも赤羽・法善寺としてお寺を建てることになりました(その当時は、亀有や赤羽は『郊外』だったことにも驚きです)。


そして現在は私の父が住職となり、私が副住職をさせていただいています。今も昔も、檀信徒(お檀家さん)によって法善寺は支えられています。歴史を学ぶことで、今一度感謝の気持ちを持つことが出来ました。


もっと詳しく読んでみたい方は、こちらから飛んで見てみてください。ご感想もいただけると幸いです。



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