気持ちを込める
- Nakayama Ryunosuke
- 2020年2月21日
- 読了時間: 2分
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
夜の九時過ぎまで、図書館で本願寺学院の後期レポートをまとめておりまして、今帰宅しました。
実はちょうど先ほど、落ち込む出来事が起きました。こちらが100%悪いので本当に申し訳なく、ある方には不快な思いをさせてしまいました。詳しく書くとこちらの言い訳になりますし、あっけらかんとしたことも書きたくないので、詳細には触れずに書き進めます。抽象的な表現となりますが、ご容赦ください。
常々、法善寺はお檀家さんと地域の人を大事にする、と言ってきました。『寺離れ』と世間では言われていますが、「それってお寺がちゃんと機能を果たしてないからじゃないの?」という仮説のもと、お寺本来の役割を見つめ直しながら頑張っているつもりです。
ただ今回のことは、そんなことを言っているくせに矛盾したことをしてしまいました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私は、仕事において『頑張ってやる』とか『気を付けてやる』みたいな抽象的な表現はあまり好きではありません。というのも、人は元来ミスをする生き物ですから、そんな生き物が『頑張った』り、『気を付けた』りしたところで必ずミスをします。だからミスをしないような土台作り、システム作りがそもそも大切だと思っています。
しかしそうは言いながらも、結局は『気持ち』が大事だったりします。出来上がった土台やシステムに乗っかったままですと、機械のような仕事になってしまいます。また、本当に気持ちがこもっていれば、細部にまで目を通し、システムとか関係なくミスを見抜けることもあります。
今回の失敗は偏に、配慮が足りなかった、ということに尽きると思います。相手に届くまでにいくつかチェックポイントがあったはずなのに、そこが機能していませんでした。そして、それはやっぱり『気持ち』です。
今後同じことが無いように、私自身気を引き締め直していきます。
応援され、愛されるお寺になれるよう、毎日努力を積み重ねていきます。
南無阿弥陀仏
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