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気持ちは簡略化したくない

  • 執筆者の写真: Nakayama Ryunosuke
    Nakayama Ryunosuke
  • 1月20日
  • 読了時間: 2分

1/20のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は何だか色々ありまして、夕飯時には年甲斐もなくストレスアウトしてしまいそうでした。少し休んでお風呂入ったり何だりしたら落ち着きましたが、まだ頭の中はモヤモヤした感じが残っています。


心と体が健康じゃないと日々を楽しめないというのは分かっていますが、それを常に実現するのは難しいものです。ちゃんと自分を労って日々を過ごしたいものです。


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気持ちは簡略化したくない

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自戒の意味も込めてですが、最近は何でもどこでも簡略化が進んでいます。コロナが拍車をかけたのは間違いなく、特に人との付き合い方がどんどんと薄くなっています。


最近の飲み会を断るからなっとらん、とか年上世代が言ったりしますが、その年上世代だって年賀状をやめてしまったり。世代だからというよりも、そういう時代なんでしょう。


こういう世界にいると、人の一生を目撃することになります。まだ私はお寺に入ってから日が浅いですが、それでも少し前まで元気だった〇〇さんがお亡くなりになった、ということに何度も直面してきました。


そういう方を見送るのも、今は簡略化されています。自分の親だからきちんと見送りたい、ということよりも、たくさんの人を呼ぶのは大変だから、と言って一日葬や時には直葬を選ぶ方もいらっしゃいます。


様々なご事情があって致し方ないところもあるのでしょうが、何だか人の一生というものが軽く扱われている気がして仕方ありません。人の最期を見送る、ということがいかに大切なことか。


もちろん、通夜葬儀の間ずーっと気を張り詰めているのも違いますが、我々僧侶側も、こういった気概を持って葬儀に臨まなければいけません。良い葬儀というのは、故人が亡くなったことに涙し、故人の思い出話や久々に会った親戚との話で笑い合い、というものだと個人的には思っています。


簡略化を否定はしませんが、気持ちまで簡略化しないよう、努めて勤めていきたいものです。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。人の命の価値が、どんどん希薄になる時代でしょうか。



南無阿弥陀仏

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