死が身近になった現代


こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


今日は日曜日でした。


そういえば一週間の始まりは日曜日なのでしょうか、月曜日なのでしょうか。正式には日曜日な気もしますが、習慣的にはどう考えたって月曜日ですよね。ということで、今日は一週間の最終日でした。明日からまた一週間が始まります。気を引き締め直していきましょう。


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久しぶりに本山の晨朝法要に参詣して

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今朝は久々に、東本願寺の晨朝法要(じんぢょうほうよう)に行ってきました。難しい言葉を使いましたが、つまりは朝のお勤めです。基本的には毎朝7時30分から行われておりまして、日によって長さはまちまちですが大体30分前後でしょうか。以前は私もほぼ毎朝、この朝のお勤めに足を運んでおりましたが、昨年の4月からは自分のお寺で朝のお勤めをするようになりましたのでご無沙汰しておりました。ただ今回は、東本願寺学院で一学年下だったお坊さんが毎朝行っているみたいで、『中山さんも来てくださいよ』と言われたので久々に行ってきました(#お願いに弱い男)。


このようなご時世ですので、以前に比べると椅子の列の間隔が広くなっており、私は半径5mくらい誰もいないような席に座り、法要に合わせて遠くから発声していました。マスクも着用です。段々と、マスクで発声する息苦しさにも慣れた気がします。むしろ、辰吉丈一郎みたいに、肺活量が鍛えられて良いかもしれないなと思えるようになってきました。


朝の法要が終わると、その日の当番の方が法話をします。今日の法話をされた方は東本願寺学院の担当の人で、とてもお世話になった方です。話も上手なので、ラッキーです。久々に来たくせに、まんまと当たりくじを引きました。


お話の詳細は割愛しますが、テーマとしては『新型コロナで揺れているこの世界にこそ仏法は必要だ』ということでした。くしくも先日、私がこのブログで書いていた内容と酷似していたので聞き入ってしまいました。


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『死』が身近に感じる今日

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普段私たちは、あまり『死』を意識しないで生活しています。当然のように明日がやって来ると思い、当然のように一年後も今とあまり変わらない生活をしているもんだと思っています。


しかし、人は必ず死にます。人だけでなく、生き物の死亡率は100パーセントです。そしてその死は、いつ訪れるか分かりません。今日かもしれませんし、明日かもしれません。そんな身近であるはずの『死』を、普段の私たちは意識せず、遠ざけて生活してしまっています。


しかし、この新型コロナウィルスの影響で、多くの人が『死』を身近に感じながら生活するようになりました。志村けんさんのような著名人が亡くなったりしたのも大きいでしょうが、『死』を遠ざけることが出来なくなっています。死は身近にある、という現実を受け入れなければいけなくなっています。以前拝読した樹木希林さんの著書の中に、『生きるも日常、死ぬのも日常』といった言葉がありましたが、まさにその通りの今日の状況です。


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浄土真宗の僧侶は何を説くべきか

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では、そういった『死』を目の当たりにした方々に、我々浄土真宗の僧侶は何が説けるのでしょうか。


それは間違いなく、『阿弥陀仏によるお救い』だと思います。『どんな人でも、南無阿弥陀仏と称えれば、臨終の後に極楽浄土に仏として往生できる』というお救いを説くことで、後生の不安を無くし、現世を精一杯生きていく活力を与えることになるのではないでしょうか。


元々仏教では、仏になるというのはとても大変なこととされていました。『悟りを開く』とよく言われますが、自らの煩悩は断じて悟りを開くことが仏教が説く救いの道で、そのためには様々な修行をしなければいけませんでした。


しかし、釈尊が説かれた様々な教えの中で、今日の浄土真宗では阿弥陀仏によるお救いを選び取って、頂いております。煩悩を断ずることができないようなこんな私でも、阿弥陀仏は救ってくださいます。そのことに感謝をし、恩に報いる気持ちになった時、自然と『南無阿弥陀仏』という言葉がでてくるのではないでしょうか。浄土真宗で称える『南無阿弥陀仏』は、『救ってください』という意味ではなく、報恩感謝の気持ちを表しているのです。(厳密に言えば、信心を頂いて最初に称えるお念仏は『救ってください』になりますが、それ以降の御念仏は報恩感謝の気持ちを表しています)


新型コロナウィルスという敵に対して、私たち人間はあまりにも無力なのかもしれません。しかしそんな私たちでも『南無阿弥陀仏』とお念仏を称えることは出来ます。このお念仏にはウィルスを破するようなスーパーパワーはないのかもしれませんが、称えることによって後生の一大事が定まり、心を落ち着かせることは出来るかもしれません。


このブログでいつも一番最後に書いてある『南無阿弥陀仏』という言葉にはそんな意味があります。お念仏の意味を再確認させていただいたところで、本日も称えさせていただき、締めさせていただきます。



南無阿弥陀仏

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