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欲が小さくなってきた

3/9のブログです。


こんにちは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日はサンキュー(39)の日だそうです。普通の祝日とは別に、11月11日はポッキーの日だとか、2月9日は肉の日だとか、何やかんやと言われておりますが、サンキューの日は初めて聞きました。

#結婚生活8年目


なんじゃそりゃとは思いましたが、まあハッピーそうな日なので何よりです。話は飛びますが、英語のThank youって気軽に使えるから良い言葉だなと思います。ちょっとした時に言いやすいし、言われる方も『ありがとうございます』だと重くなってしまいますが、『Thank you』だとカジュアルだから、『はいはいっ。どういたしましてー』と軽い気持ちでいられます。


言葉によって人の思考や思想は大いに影響を受けていますが、こんなところがアメリカ人の、ドアをちょっと開けて待っていてあげる精神、の種なのかもしれません。


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欲が小さくなってきた ==================


昨日のブログで、少欲知足のお話をさせて頂きました。段々と自分の満足できる分量が理解できて来たので、少なきを欲すで大丈夫になってきました、みたいなことを言ったと思いますが、よくよく考えると、そもそもの欲が小さくなってきているのかもしれないなーと思い始めました。


年を取った、優先順位を付け始めた、色々と理由はあると思いますが、ある一つのことに固執して熱中することもあまり無くなってきた気がします。


それを特に実感するのがテレビゲームをしている時でしょうか。35歳にもなって相変わらずゲームをちょこちょこやったりするのですが、昔みたいに『眠い目を擦ってでもやる』みたいなことはさっぱり無くなりました。『○時までにしよう』と決めたらそれで終わらせられますし、ごたごたして時間が無ければ『今日はいいかな』とスキップすることもあります。自分自身をコントロールできているのは何よりですが、シンプルに欲が小さくなったのかな、と思うわけです。


欲が小さくなるのは、良いこともあれば悪いこともあります。良いことから言えば、それだけ無駄が無くなります。優先順位を付け始めた、と先述しましたが、夜更かししてゲームしていたら翌朝の子供達との遊びに付き合いきれませんし、仕事にだって影響が出て来ます。欲が小さいぶん先が見通せるので、そんなことにはならなくなるわけです。


ただ一方、段々とこだわりがない人になってしまうんじゃないか、という懸念があります。何かに熱中することが少なくなり、現状維持でええやんか精神になってしまっては、向上もありません。それではいかんと新しい情報を入れたり、新しい体験をしたり積極的にしているつもりですが、根本の欲が無くなってしまってはその足も動かなくなってしまうかもしれません。


とはいえ、これだけちゃんと良いことと悪いことを俯瞰して見れているのであれば、大丈夫な気もします。良いことは受け入れつつ、悪いことは改善できるような行動設計にしておけば良いはずです。そんな人間になってきたんだな、そしてこんな人間になっていくんだろうな、みたいなことを理解しながら、気を付けて生きていこうと思います。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。老け込むにはまだ早い。


南無阿弥陀仏

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