東京2020のボランティア研修→空思想
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
本日は朝から、東京オリンピック・パラリンピックの『フィールドキャスト研修』に行ってきました。東京2020でいうところの『キャスト』はボランティアのことで、主に競技に付くボランティアを『フィールドキャスト』、競技ではなく町で活躍するボランティアを『シティキャスト』と呼ぶそうです。私はフィールドキャストの方に申込み、本日はその研修に行ってきました。
研修の内容をあまり細かく書くつもりはありませんが、印象的なことがありましたのでそこだけフォーカスして書かせていただきます。
それは『障害』についてです。
東京2020のキャストは、オリンピックだけでなくパラリンピックのボランティアも行います(もちろんその人の希望にもよりますが)。みなさんご存知の通り、パラリンピックに参加する方々は身体的や知的な障害を抱えた方々になります。ボランティアは、そういった方々の身になって行動しなければいけません。
研修の中で『障害とは何ですか?』という質問がありました。何となく理解していても、正直言ってあまり深く考えたことのない質問でした。辞書を引けば何かしらの定義が出て来るのでしょうが、ぱっと思いつく定義は人それぞれだと思います。私は『何かをしようとしたときに妨げとなるもの』と書きました。これも間違いではないでしょうが、そのあと組織委員会の方の話を聞き進めていくと、障害は人によって変わるということが分かってきました。
例えば、階段が目の前にあった時、登れる人もいれば登れない人もいる。『入口→』と書かれたサインがあっても、見える人と見えない人がいる。もっと言えば、『入口→』と書かれたサインがあっても、日本語が読める人と読めない人がいる。3つ目の例でいえば、たとえ健常者であっても、何かが障害になり得る、ということです。
この話を聞いたときに、仏教の『空』の思想を思い出しました。簡単に言えば『物事は縁起によって構成されている』ということです。
前述の例を出して言えば、階段自体は障害ではありません。その人によって、便利なものにもなるし、障害にもなりえるわけです。サインも同じです。ある人にとっては入口を示してくれる有難い存在ですが、別のある人にとっては何の情報も持ちません。
空の視点を理解しておけば、人それぞれの立場に立って考え動くことが出来るんだなー、改めて仏教の思想はすごいなー、と知ることが出来た日でした。実践するのは簡単ではありませんが、この視点を持ち続けられるように努力していこうと思います。
まあ、ということで、今年の夏は東京2020のボランティアも頑張ってみようと思います。一生に一度あるかないかの自国でのオリンピック・パラリンピック、精一杯楽しみたいと思います。チケットは当たりませんでしたが笑
南無阿弥陀仏
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