本願寺学院2年目 後期レポート公開③

こんにちは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


昨日から引き続き、本願寺学院のレポート公開をさせていただきます。


今日は水曜日の『仏教学』のレポートで、テーマは『無自性空と二諦説』です。浄土真宗に限らない、古来の仏教の思想についてですので、宗派関係なく読んでいただけると思います。


特に『空』は仏教独特の思想で、難しく書いてしまっているかもですが、何となくでも理解できれば、世界の見え方が変わってきます。


では、ご覧ください~。

無自性空と二諦説について

本科二年 中山龍之介


「空」という思想は仏教独特のものである。これに関連して、浄土真宗では頂かないが、『般若波羅蜜多心経(般若心経)』に登場する「色即是空」のフレーズはあまりにも有名である。そして、その空思想と併せて、「無自性」さらに「二諦説」についてまとめた。


まず「空」とは、固定的見解に執することの非を主張する、否定の論理である。端的に言えば、縁起の道理で物事を見る、ということである。縁起とは因縁生起の略で、次の三つによって成り立つ。


一つ目は、物事は因と縁によって依存して生起する「原因」を説いている。例えるならば、種(因)があり、そこに土や水(縁)が与えられることで、芽(果)が出る、ということである。


二つ目は、物事は様々な要素が寄り集まって生じる「構成要素」を説いている。刹那という、とても短い時間に生滅を繰り返す無常観を表している。


そして三つ目は、物事は相依相対によって生じる「仮設(けせつ・概念の形成)」を説いている。浄は不浄に縁り、不浄は浄に縁るという考え方で、絶対的な浄や不浄は有り得ないということである。例えば、百万円をもらっても、それを大金と思う人と思わない人がいる。大金と思わない人は、もっと大きな金額でないと大金としない仮設をしてしまっているからであって、大体の人からすれば百万円は大金として捉えられるのである。しかし反対に、百万円を大金だと思う人も、百万円あれば様々なものが買えるから大金だと思うのであって、仮に、りんごや大根が百万円で売られるような世界であれば、百万円を大金とは思わないのである。このように、物事に絶対的な存在は無い、相手に依り相手に対するから存在する、という考え方が相依相対である。


この相依相対については更に八不中道が説かれる。これは、不生不滅・不断不常・不一不異・不去不来という八つで、これらの有無の邪見から離れ、中道を見ることが縁起の思想である。ちなみに不生は、物事は「自」より生まれない、物事は「他」より生まれない、物事は「自」と「他」の共より生まれない、物事は「無因」から生まれない、という不四生に展開される。この不四生は当時の他宗教が説く、転変説へのカウンター的発想と言われており、物事の本来の要素が活発になり生ずるという「因中有果(因果同一)」と、物事は何の関係もないところに生ずるという「因中無果」を否定しているのである。


「無自性」とは、文字通り自性が無いことを指し、自性とは何らかの事物の固有の体を表している。「固有の体」ということは、変化しなく因縁が無い、ということになり、空思想に当てはめれば有り得ない、ということになる。縁起の道理において存在するものを無自性と言い、つまりは空を指している。よく「日本はきれいだ」と言われるが、これは他のほとんどの国に比べてきれいであるだけで、決して固有の体ではない。つまりは「日本はきれい」というのも無自性である。


そして「二諦説」とは、勝義諦と世俗諦の二つのことで、諸仏の諸法はこの二諦に基づくとされる。『仏教史概説インド編』によれば、勝義諦とは空思想における言語表現を超えた究極的立場、つまりは涅槃のことで、世俗諦とはその究極的立場を言語で説明するための方便のことである。涅槃は本来、言語表現を超えた領域(勝義諦)であるが、修行者の実践に応えるためには仮設(世俗諦)が必要、ということである。


しかし、そもそも涅槃を概念化して言葉で説明するということが分別していることになる。涅槃は無分別であるから、言葉では言い表すことができない。つまりは世俗諦とはあくまで方便であり、勝義諦への誘いである。分別・戯論を超えて、真実・涅槃へ入ることが、悟りを開くということである。分別をせずにあるがままを見ることが、有無を離れるということ、つまりは空思想に繋がる。


二諦説のように、仏教では言葉に表せられる分野と、そうでない分野がある。前者においては様々な聖典が残っておりそこから知ることが出来るが、結局行きつくところは後者の不可説な分野である。浄土真宗の本尊である阿弥陀仏も、仏像は方便化身の姿とされ、実際には目に見えない、あらゆるものを照らす光であると説かれる。それは言語表現を超え、十方に注がれる無碍光である、と説かれている。


仏教だけでなく、宗教というものは言葉を超えている。神様や仏様の存在を、言葉で証明することは出来ないので、方便である聖典や仏像が使われている。だからこそ宗教を怪しむ人もいるが、反対に、だからこそ宗教であるとも言える。言葉では表現できない、人智の及ばない大きな存在を知らしめてくれるものこそが宗教なのである。

以上です!いかがでしたでしょうか?言葉を超えた世界、ちょっとは見えてきましたでしょうか?


明日は木曜日『三経七祖』のレポートで、テーマは『法然上人が「念仏唯一つ」とした背景』です!法然上人とはずばり、親鸞聖人の御師匠さんになります。広くは浄土宗の開祖として知られているでしょうか。


お楽しみに!



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