書道の創作の途中経過
こんにちは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
今日は少し早めの更新です。というのも、夜に東洋大学のオンライン授業を受けようと考えているからです。
授業自体は金曜日から閲覧可能なのですが、なかなか時間が取れず(=だらけてる)、課題提出の期限である水曜の午前0時ぎりぎりの火曜の夜になって、やっとやる気になっています。救えないやつです。
ちなみに先週は天台宗と最澄についてでした。この流れだと、今週はおそらく空海でしょうか。平安仏教だけでなく、日本仏教におけるスーパースター2人ですので、たっぷりと勉強しようと思います。
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書道の創作活動
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さて、今日は書道教室に行ってきました。新型コロナによるお休み明け2回目、段々と感覚が戻ってきた感じはしますが、戻ってきたところで未熟なことに変わりはありませんので、日々精進あるのみです。
私が通っている書道教室では、割と決められたとおりに書く楷書だけでなく、自分で字体や流れを考えて書く創作というものがあります。絵を描く感覚に似ているのかもしれないのですが、そういう右脳系はめっぽう弱い人間ですので苦戦しております。ただ、少ーしずつですが『流れ』みたいなのが掴めて気がしますので、この感覚を詰めていこうと思います。
ちなみに写真のが、今日書いた創作です。墨汁は使わずに、自分で墨をすって書きました。題材は松尾芭蕉の俳句『名月や池をめぐりて夜もすがら』です。ご覧いただいて『なんだこれ、これが上手いのか?』と思うかもしれませんが安心してください、上手くはありません(笑)。
『や』と池の右側である『也』の形に変化をあまり出せなかったり(平仮名の『や』の元の漢字が『也』ですので似てしまう)、『ぐりて』辺りが同じような字間・大きさになってしまったり、表現の幅の狭い作品です。
創作をするときに邪魔になるのが、自分の頭の中にある『この文字はこう書く』という常識です。普段書き慣れている文字の癖がそのまま出てしまうので、そこから逸脱することが難しいです。凝り固まった頭を柔らかくしないといけません。そう考えると、創設者の大溪洗耳先生の作品を見るととんでもない字を書いておりますので、あの人はとんでもなく柔軟な人だったんだと思います。朝令暮改とかしまくっていたはずです(#褒め言葉)
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書道の審美眼
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そろそろ書道教室に通い始めて1年くらいが経ちます。始めた当初の字を見返してみると、線の質とかはらいとかが今よりも下手くそで、少しは上手くなっているんだな、と実感します。
直接字を書く以外でも、書道に関して大きく変わったことがあります。それが『審美眼』です。書道において、どんな字が良くてどんな字が悪いのか、これが何となく分かってきました(自分で再現は出来ませんが)。
もちろん人によって様々な味がありますので、一概に『良い字』とか『悪い字』というのは無いのかもしれませんが、下手に見える字でも、それが『上手い人』が書いたのか、もしくは『下手な人』が書いたのか、これは分かるようになったと思います。
昔は先生に書いてもらった字を見ても『これが上手いの?』と思っていましたが、今ならその上手さが分かります。お手本を見ながら『何でこんな線が書けるんだよ』とか『何でここで筆を広げられるんだよ』とぶつくさ文句を言いながら真似して書いてみます。もちろんすべては再現できません。先生方の上手さが分かってきてから尚更、彼らの遠さに気付きました(笑)
まあだからと言って悲観しているわけではありません。自分の上達も実感できていますので、地道に頑張っていこうと思います。頑張って通っていれば、授業料も払っているんだし、先生方が私を上手くしてくれるでしょう(笑)
それは冗談として、これからも引き続き一歩ずつ頑張っていきます。またブログに作品を載せていきますので、お楽しみにしてくださると嬉しいです。
南無阿弥陀仏
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