暗黙の了解は受け継がれない
8/11のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
2日ぶりの更新となってしまいました。昨日は子供の寝かしつけをした結果、一回起きたのが3時。その時点で起きることもできたのですが、そうすると朝が長すぎるし睡眠時間が足りないしということで、色々と諦めてもう一度寝させていただきました。おかげでいつもよりもスッキリとした朝を味わうことができました。妻に感謝です。
子供ができて楽しいことや幸せなことが増えましたが、それと同時に失ったものもあるわけで、その筆頭が寝たい時に寝て起きたい時に起きる自由かなと思います。仕事と違って休みとかありませんし、小さい子は朝が早いので、それに付き合わされる形です。それでもむにゃむにゃと布団の中で粘っている方だとは思いますが、一人暮らしの時のような気楽さは無くなったなぁと思います。まあトレードオフということで飲み込んでいますが。
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暗黙の了解は受け継がれない
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最近、ビッグモーターの事件や、スシローでのペロペロ事件など、目や耳を疑いたくなる様なニュースが続いています。お客さんの見えないところで新たに傷をつけて修理代を水増ししたり、他のお客さんでは知り得ない不衛生なことをしたり、どれもこれも驚くものばかりです。
ただ、最近は、と枕詞をつけたものの、これはおそらく現代のSNSやコミュニケーションツールの発達によって明るみに出たもので、これまでも水面下では行われてたんだろうなと推察します。全てのことが可視化できる現代は、ある意味恐ろしいとも言えます。
これらの事件の何がタチ悪いかと言うと、人と人との間にある根幹となる信頼関係が崩れてしまうことではないでしょうか。『流石にこんなことしないでしょ』とか、『これはこういうものだよね』という暗黙の了解みたいなものを飛び越えてしまった行為なので、そうなると何もかもが疑心暗鬼になってしまいます。
そして日本は、こういった暗黙の了解に守られてきた民族だったとも言えます。良くも悪くも右に倣え的な風習のある我々は空気を読む力に長けており、何となく『これはダメだよな』とか『これはこうすべきだな』とかいうものを肌感覚として小さい頃から培ってきています。
ところがこういった事件が表面化すると、そんな暗黙の了解が通じなくなるわけです。また、昨今は核家族化によって、上の世代の暗黙の了解が下の世代には通じないという側面もあります。
お寺にいるとそこらへんは特に強く感じていて、世代が変わるとお寺との付き合い方が変わるのは日常茶飯事です。ただそこに文句を言ったり、昔は良かったなぁと妄想に耽っていても時間の無駄ですし、むしろ今までかまけてきたお寺側に責任があるとも思っています。今の方々向けに、きちんと発信をしたり、コミュニケーションを取ることが、これまで以上に重要になってくるんだろうなと感じています。
そのためのブログだったり家庭通信だったり公式LINEだったりするわけですが、幅広い方々に届けようと思うとそれだけツールも増えていくわけで、それはなかなか大変です。ただそんなところで止まっていられませんし、昔の人は手書きだったところをパソコンやiPadでパチパチするだけで字が書けるのでそこは時短になっているわけで、ある意味どっこいどっこいなのかな、とプラスに捉えることもできます。
そういえばそろそろ家庭通信の執筆を始めなければいけません。大体ひと季節に一度来る作業ですが、毎回毎回絞り出す様に書いています。届け!という強い気持ちを持って、次号にも取り組めたらと思っています。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
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