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現実と理想

6/11のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今週末は鳥越神社でお祭りが行われていました。特に参加したわけではなく、歩いていて横を通り過ぎただけですが、お祭りの景色が戻ってきたことを嬉しく思っています。


危機感が薄れてきたと言ったら聞こえが悪いかもしれませんが、毎日の感染者数を特に気にすることなく、もう緊急事態宣言も発令されないっしょと思っている自分がいます。あれ、これってもうポストコロナなんじゃないの?と思ったりしますが、こうやってどんどんと日常が戻ってくれば良いなと思います。


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現実と理想

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今日は午前中に、溜まっていた宗教新聞を読んでいました。溜めずにちゃんと読むべきだと思っているのですが、子供がいるところで新聞を広げるのって地味にリスクで(破られる)、そんなこんなで溜まってしまうので、たまに時間を作って読み進めたりしています。


ここ最近の記事では、ロシアのウクライナ侵攻に関しての記事が多かったです。戦争が早く終結するように祈りを捧げる、という類のものですが、私の心が荒みきっているせいか、この手の祈りにはどうしても違和感を感じてしまいます。祈ったところで戦争が終わるはずもなく、もっと具体的な行動が必要じゃないか、ということです。


もちろん祈ることでこうやって記事になり拡散され、人々の心の中に訴えかけられている、という事実はあります。ただそれなら神や仏に祈るんじゃなくてTwitterでもやればいいわけで、宗教者がその目的のために祈ることって何か意味があるのか?と思ってしまいます。


ただ、祈りがきちんと届く世界であってほしいという思いもあります。私はお寺に入ってまだ日が浅いこともあってか割と現実主義的なところがありますが、理想を持つことは決して悪いことじゃありません。たとえその理想が不可能なことだとしても(世界中全員が幸せでありますように、的な)、そこに向かっていく努力は否定するべきじゃないな、と祈りの記事を読みながら思いました。


宗教者というのは、そういう意味では、理想を掲げる最後の砦なのかもしれません。我々までもが現実的なことばかり言ってしまってはどこに救いがあるんだ、と思われるのかもしれません。また自分の至らないところに気がつかされた、今日この頃でございました。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。諦めた理想を思い返してみようかなと思いました。



南無阿弥陀仏

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