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教化に正解はない

7/15のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


お盆3日目、土曜日でしたし、あまり気温が上がりきらなかったということもあってか多くの方がお墓参りにいらっしゃいました。今日と明日はかき氷を提供していますが、おかげさまで大盛況だったんじゃないでしょうか。昨年は雨が降っていて涼しかったため全然需要がなかったので、今年の盛況っぷりは純粋に嬉しいです。


お寺でかき氷を提供すると、子どもからお年寄りまで、幅広い年齢層の方が楽しんでいる様が見られて良いものです。なかなか普段の生活でこういった光景を見ることもありませんので、役得なのかもしれません。明日もかき氷してますので、お墓参りにいらした際には是非ご賞味くださいませ。


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教化に正解はない

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そんなかき氷に引っ張られてか、御朱印もいつにも増して好評な気がします。年に4回しか御朱印はご用意していないのですが、今回が11回目ということで継続は力なりというべきなのか、ジワジワと認知が広まっていっている印象です。有難い限りです。


ただ御朱印の人気がで始めたからと言って、教化を忘れてしまっては元も子もありません。御朱印によって仏縁に遇い、仏法をよりいただくことが何よりの目的ですので、そこをスルーしてしまってはいけません。御朱印の説明をきちんとしつつ、本当の意味で皆さんに喜んでいただく、という気持ちは忘れてはいけないなと思っています。


それにしても、教化というのはとことん千差万別です。お釈迦様も対機説法という、相手によって話し方や内容を変えていたそうでございますが、我々もそれに倣った教化が必要です。もちろんお釈迦さまほど上手にできるわけもありませんが、全員に同じような説き方をしては伝わるものも伝わりません。そのために御朱印を使ったり、声明の稽古をしたり、掲示板を変えたり、法話をしたり、法要をしたり、色んなことをしているわけです。


仮に、こちらに『これが正しい』という絶対的なものがあっても、それを押し付けるように説いてしまうのは考えものです。とある人には正しく伝わるかもしれませんが、とある人には押し付けられた時点で離れてしまうこともあり得ます。相手によって踏み込み方を変える、というのは簡単なようでとても難しく、これについては絶対的な正解はなさそうです。


仏教という、せっかく素晴らしい教えがあるのに、私の力不足できちんと伝えられていないことばかりで、歯痒い想いもします。明日はお盆最終日ですが、同時に声明の会もございます。また少しでも仏法を弘められるよう、頑張ってまいります。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。人を知らなければ、法も説けず。



南無阿弥陀仏

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