『宗教を知ろう』への想い

2/22のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


第二回『宗教を知ろう』が、いよいよ明日となりました。今日はそれに向けての会場作りをセコセコと進めていました。


パネリストの席、観覧の席(こう言ったご時世なので人数制限させていただきました。申し訳ございません)、受付、プロジェクター、マイク、スピーカー、パソコン、カメラ、控え室、などなど、自分が一体何屋なのか分からなくなりそうになりましたが、皆さんの、そして実は自分自身の宗教理解を深めるためだと思ってやっております。


ということで、このブログを書き終わった後も、資料の見直しやらに時間を使います。泣いても笑っても明日は来るので、笑えるように頑張ります。


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『宗教を知ろう』への想い

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ここで、『宗教を知ろう』に対する自分の気持ちを少し記しておこうかなと思います。明日に向けての良い整理になるかもしれません。お付き合いください。


元々こういったパネルディスカッションをやろうと思ったきっかけは、東本願寺学院に通っていた時の合宿での出来事でした。これからのお寺はどうするべきか、という話し合いがあり、私はまだお寺に入って半年くらいということもあってか、『子供が集まるように寺子屋的な教室をやってはどうか』とかそんなアイディアを出していた記憶があります。周りの方々もそういった意見だったと思います。築地本願寺じゃないですが、『カフェとか良いんじゃね?』みたいなノリです。


一通り話し合いが終わった後に、講師の方々からフィードバックをいただく流れだったのですが、とある講師の方(Tさん)が『お寺に人を呼ぶのはいいと思いますが、仏教自体にも魅力があるんじゃないですか?』と仰いました。私はハッとして、邪道な方法ばかり考えていた自分がとても恥ずかしくなりました。寺子屋とかも間違ってはないんでしょうが、まずは仏教を伝える努力をすべきだろう、と強く思いました。


じゃあどうしようかと思った時、自分の宗教観や今までの経験を思い返してみました。寺の子に生まれ、日本に生まれた自分には、習ってはいなくても仏教の考えや神道の考えが染み付いています。皆さんもお持ちかと思いますが、『お天道様に見られている』という感覚が、とても日本人らしいものです。


また、大学時代をアメリカで過ごした時に、人々の倫理観はハッキリとキリスト教がベースになっていることを知りました。善悪の判断が聖書なんですね。そんな価値観に触れて、最初は『アメリカ人は心で善悪を判断できないのかな?良い行いも聖書に書いてあるからやっている、ってことは偽善なの?』と思ったりもしましたが、決してそんなことはありません。むしろ日本人だって、意識していないだけでそこの判断は大いに宗教に依っています。


アメリカ以外だって、世界を見渡せば、宗教と価値観、宗教と思考回路というのは強く結びついています。日本は島国なので意識しづらいかもしれませんが、キリスト教の国、イスラム教の国、仏教の国、儒教の国…宗教が違えば、何を大事にするのか、何を目指すのか、もっと言えば、何を幸せとするのかが変わってきます。


コロナのせいで少し時代が止まってしまった感がありますが、今後世界は間違いなくボーダーレスになっていきます。昨年にはオリンピックもありました。世界で活躍する日本人も増えていきます。日本にやってくる外国人も増えていきます。そんな中、他の国々の方の価値観や思考回路を受け入れる必要が出てきます。たとえ自分自身がそう言った価値観にならなくても、他の価値観を理解し、尊重しなければいけません。


そのためには、宗教を正しく理解する必要があります。日本は宗教を嫌う人が多いですが、それは正しく理解していないからだと思っています。宗教を正しく理解し、人々の価値観を理解する、これが日本の多様性に繋がってきます。そして、他の宗教と比べることで、仏教に対する理解も深まってくるはずです。


いろいろ偉そうに言いましたが、私も全然世界の宗教を知りません。自分で企画した『宗教を知ろう』と通して、自分自身も勉強できればと思っています。


有難いことに、今日も何人かの方々から動画配信のお申し込みをいただきました。さすがに本番直前はバタバタとしてしまいますが、ギリギリまでメールやLINEは返していきたいと思っていますので、興味のある方はご連絡ください。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。今日のブログで初心を思い出せた気がします。



南無阿弥陀仏

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