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子供の成長、自分の成長

2/5のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は夜に、お寺の祖母の93歳の誕生日会を開きました。地球上の93歳で一番元気なんじゃないかと思う祖母ですが、今日も楽しそうにしてくれていました。子供もかわいいですが、孫はもっとかわいい、曾孫になったらもっともっとかわいいんでしょうか。走り回る子供たちを見ては目を細めていました。


結婚するまではこういった誕生日会とかはありませんでしたが、妻がきっちりと企画してくれるので欠かさず開催できています。やり始めるとやっぱり良いもので、こういった行事ごとできちんと喜べる日々を過ごしていきたいなと思います。


いずれにしろ、祖母には引き続き元気でいてもらいたいものです。頼りにしてます。


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子供の成長、自分の成長

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そんな誕生日会の前に息子が、久々に蹴って進むタイプの自転車に乗りたい、とギャーギャーとうるさかったので公園に連れていきました。そういえばしばらく乗っていなかったな、と引っ張り出したのですが、案の定サドルが低くて乗りにくそうにしていました。六角レンチを使って高さを調節して出発すると、機嫌良さそうに公園まで乗ってくれました。


しばらく乗っていなかった、と言っても半年も時間は空いていないと思いますが、子供の成長は早いものです。毎日会っているので、普段は『大きくなったな』と思うこともほとんどありませんが、服や靴、今回で言えば自転車と比べると成長したのが目に見えてはっきりと分かります。『ご飯食べないと大きくならないぞ!』と毎食怒鳴っていますが、そのおかげか一応大きくはなっているみたいです。


子供の成長を目の当たりにすると、逆に自分だけ何だか置いていかれた気になります。子供と同じくらい、自分自身は成長できているのだろうか、と。


大人になると身体的な成長は止まります。まあ横には大きくなってしまうのですが、基本的にそれは成長とは呼びません(#ただの怠惰)。目に見えての成長が無くなる分、成長を実感しにくくなるわけです。なので子供の成長に置いていかれた気になったりするのですが、ただ冷静に考えれば、私だって成長しているはずです。


声明や書道というスキル的な成長ももちろんですが、自分の年齢や立場が変わったことによって、より多くの人の気持ちが分かってきた気がします。10年前の自分を今の自分が見ると、無知すぎて、無恥すぎて、そのくせ曲がらないもんだから、引っぱたきたくなります。多くの周りの人に迷惑をかけてきたんだろうな、というのが容易に想像できて悲しくなりますが、その分感謝の気持ちも湧いてきます。こんな自分にお付き合いいただいて、本当に有難い限りです。


ただ人生はその繰り返しで、今の自分を数年後の自分が見て、引っぱたきたくなるのでしょう。旅の恥は掻き捨て、と言ったりしますが、人生という旅においてもそれは同じかなと思います。このブログもそうですが、毎日毎日恥を掻いているようなものです。その恥が成長につながるのかもしれないな、と思いながら(切望しながら)、今日も恥を掻いております。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。恥かく練習に、書道とブログはお勧めです。



南無阿弥陀仏

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