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失って初めて気が付くものだらけ

7/9のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


何とか無事に土日を乗り越えることが出来ました。手伝いをしてくれた親戚の若手僧侶、支えてくれた家族に改めて感謝です。金曜日の朝にはどうなることかと思いましたが、ひとまず安堵しております。


とは言えまだ100%ではありません。明日以降も引き続き注意して生活しながら、木曜から始まるお盆に備えたいと思います。今年のお盆は土日がどちらも含まれ、その両日でかき氷を提供する予定です。氷の準備が必要そうなので、仕込みを頑張ります。


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失って初めて気が付くものだらけ

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病気になって初めて健康のありがたさがわかったり、腰痛になって普通に歩けていることのありがたさに気付いたり、人間というのは今持っているものは当然持っているだと思って生活しているみたいです。当然あるものに対してはなかなか感謝の気持ちが湧きづらいのも仕方なく、失って初めて気が付くものです。


『いつまでもあると思うな親と金』は有名な言葉ですが、これは本当に上手に人間心理を投影しているなと思います。若い頃は幸いにもあまりピンと来ていなかったですが、ここ最近は骨身に沁みます。親もいつかはいなくなるし、お金だって明らかに有限で気が付けば減る一方です。


そしてその局地は、自分自身の命かもしれません。多くの人が、自分自身が生きていることが当たり前だと思い、というかその前提で何もかもを設計して生活していると思います。もちろんそれはそれで大事な感覚ですが、命の終わりというのは決して年齢順ではありません。


『平均寿命』と聞くと、『あぁ、じゃあ自分もそれくらいまでは生きられるのかな』と思ってしまいますが、決してそんなことはなく、早い人もいれば遅い人もいます。父で言えば平均寿命より20歳ほど若くして亡くなっていまっすし、もっともっと若い時にさまざまな事情で亡くなられる方がいらっしゃいます。もちろん自分自身だって未だ例外にはなり得ません。


こんなことを突き詰めて考えてしまうと少し塞ぎ込んでしまいますが、要は、今生きていることを当たり前だと思わない気持ちを常に持っていたいなと思います。この一瞬、一秒、一分が決して当たり前に流れている時間ではなく、有り難く有限なものであると思えれば、日々の生活も変わってくるはずです。


とまぁ、分かってはいるつもりですがなかなか実践できないのも人間です。ただこういった考え方が少しでも頭の片隅に残っていれば、ふとした時にいつもとは違う選択を出来たりするのかもしれません。死を見つめることで、命に感謝する心が持てる、ということですね。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。体調崩すと、いつもこうやって思うんですけどね。



南無阿弥陀仏

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