大叔母が亡くなりました
11/23のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
少しご無沙汰になりまして、申し訳ございません。決して忘れていたわけではないのですが、色々とバタバタしていたり、気持ち的に落ち着かなかったりありまして、約1週間ぶりのブログの更新となります。
正直体調も芳しくはありませんが(寒暖差につき)、特にブログを再開することをやめる理由にはならないため、今日からまた始めていきます。どうぞよろしくお願いします。
==============================
大叔母が亡くなりました
==============================
今週の月曜日になりますが、私の大叔母(中山純)が亡くなりました。93歳でした。私からすると祖父の妹という関係ですので、もしかしたら一般的には少し遠くなるのかもしれませんが、小さい頃から同じお寺に住んでおりましたので、もう一人のおばあちゃんみたいな存在でした。
大叔母のことは、おばちゃんと呼んでおりましたが、おばちゃんもまた私たちのことを孫のように可愛がってくれていたと思います。私が甘党なのも特に和菓子が好きなのも、完全におばちゃんの影響です。
80過ぎまで普通に自転車を乗り回すほど元気でしたが、だんだんと衰えが見られ、ここ数年は寝ている時間の方が多くなるような生活でした。それでもお寺の樒づくりをしてくれたり、昔からのお檀家さんの話を聞けたり、とてもお寺のために尽くしてくれました。
今年の5月から、建替えを見据えた意味で、介護施設の方に入っていました。それがまさか半年後に亡くなるとは思ってもおらず、大変驚き、悲しみが襲ってきました。最期は老衰でしたので、苦しまずに逝ったのかなというのが、唯一の慰めです。
ここ数年、身の回りの親戚が何人も亡くなっています。なんでこんなことが自分の身の回りに、と思う反面、そこまでの人生であまりそういった経験がなかったということを考えれば、急にそのタイミングが訪れてきてしまったということでしょうか。
当然かもしれませんが、自分より年上の親戚がここからの人生で増えることはなく、減っていく一方です。そう考えると、何と辛いこの先の人生かと思ってしまうこともありますが、皆が平等に味わう苦しみであります。
また、幸いなことに、私の場合には自分の子供がおります。下に託すことができる、そして繋げることができた、という喜びをきちんと噛みしめなくてはいけません。
おばちゃんの法名は、淨舞院釋尼忠純と付けさせて頂きました。日本舞踊をやっておりましたので『舞』という字を、お寺に忠を尽くしてきてくれましたので『忠』という字を、それぞれ入れることにしました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
おばちゃんは亡くなってしまいましたが、おばちゃんが残してくれた縁起は我々の中で確実に生きています。その縁起を大切にしながら、またこの縁起を誰かにはたらかせながら、これからの日々を歩んでいければと思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。一切皆苦を実感する、ここ数年です。
南無阿弥陀仏
-------------------------------------------------------------
Komentarze