夢を持つこと

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日宣言した通り、ランニングをしてきました。途中まではいつものコースでしたが、白髭橋と言う隅田区に抜ける橋は渡らず、そのまま南千住の方に隅田川沿いを進んでみました。


すると『石浜神社』という大きな神社があり、そこの駐車場に新しい小屋が建てられていました。走りながら中を覗いてみるとカフェみたいになっていて、法善寺でもお檀家さんがくつろげるようなカフェスペースを作りたいと思っていたので、勉強のために今度行ってみようと思います。車だと速すぎて目に留まらないようなことでも、(特に私はチンタラなので)走ると目に飛び込んでくることがあります。面白い発見でした。


肝心のランニング自体は、8kmを40分ほどで走りました。箱根駅伝の選手は10kmを30分ちょいとかで走るそうですで比べ物にはなりませんが、久しぶりのランニングにしては頑張りました。寒い中走るのはやっぱり気持ちが良いです。


最低でも週に1回は走る生活に戻そうと思います。痩せるぞい。


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夢を持つこと

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さて、早いもので今日でお正月の三箇日も最終日となりました。やっぱり例年よりもお寺にいらっしゃる方は少なかったですが、それだけみなさんステイホームを頑張られているという事ですね。お寺としては寂しいというのも正直な気持ちですが、このような時期ですから仕方がありません。早く感染拡大が収まってくれるのが何より最優先です。みんな頑張っています。


年が明けてたった三日ですが、個人的には気持ちにかなり変化がありました。昨日のブログにも書きましたが、前のめりにやっていこうと決めましたので、目標と言うよりも『夢』を持ってこれからの人生歩んでいこうと思います。


私は、『葬式仏教』という言葉はあまり好きではありませんが、お葬式を勤めることもお寺や僧侶の大事な役割ということは理解しているつもりです。会社を辞めてお寺に入ってもうすぐ3年が経ちますが、この3年間だけでも数多くのお葬式を勤めさせていただきました。年忌法要なども含めれば大変な数になります。


その数だけ人の『死』に触れているという事ですが、やっぱりこういった経験をさせて頂くと、色々と考えることがあります。特に昨年は父が世間的には若くして亡くなったことで、より身近に『死』を感じるようになりました。


死んでしまったら全てが終わり、とは思いませんが、亡くなった方々ともう一度顔を突き合わせて話が出来ないものまた事実です。そしてその『死』というのは、いつどこで襲い掛かるか分かりません。


浄土真宗の場合、亡くなったら阿弥陀仏によって救われて極楽浄土に往生することが出来る、と説かれています。『後生の一大事を心にかけて念仏申すべき』というお言葉が蓮如上人の御文には度々登場しますが、我々浄土真宗の門信徒からすれば亡くなった後の行き先は定められています。ある意味、死後の保険があるとでも言いましょうか。


私はこの言葉の裏には、『だからこそ、精一杯今生での命を全うしなさい』という阿弥陀仏の意志が隠されているような気がします。頂いたこの命を全うする、それを考えたときに、自分は何をすべきなのかを改めて見つめ直すことが出来ます。今年に入って特にこれを考えるようになって、もちろんまだ自分自身と会話しきれていませんが、やっぱりまだまだやってみたいことがありました。それを叶えるためにどうしようかな、と考えているとドキドキワクワクしてきて、まだまだ人生楽しいことがありそうですし、見たことのない景色にも出会える気がしてきました。


コロナのせいもあって、なかなか前を向いたり広い視野を持つことが出来にくい世の中になってしまっていますが、世界中のめちゃくちゃ賢い人たちが頑張ってくれているおかげで、この雨もいつか止む日が来ます。日本にはびこっていた出る杭を打つ習慣も、『挑戦する人を応援しようよ』という声がちらほらと上がってきていて、みんなが上を向いても良い時代が来るはずです。


そんな未来になった時に、私自身も上を向いて進んでいけるように、夢を持っていきたいと思っています。今持っているスキル・経験・人脈などを駆使しても決して叶えられないような夢を掲げることで、それに引っ張られるように自分自身が成長していくことを期待しています。


とりあえず、妻にだけは私の今の夢を語りましたが、応援してくれそうです。妻も妻でやりたいことがあるみたいなので、全力で応援しようと思います。近い将来、このブログでもその夢を書きたいと思いますので、お楽しみに。


やっぱり夢を持つって大事なんだなと思った、お正月の三箇日でございました。



南無阿弥陀仏

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