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声明学園で御俗姓を学び直す

4/14のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日のブログの最後でもちらっと触れましたが、昨夜の声明学園終わりに、現金不足で駐車場に置いてきてしまったお寺の車を取りに神楽坂まで行った影響から、今日は若干の寝不足になってしまいました。最近は特に睡眠の重要性を再認識しておりまして、出来れば7時間は寝たいところです。


また、いつまで経っても法衣で長時間いることには慣れません。歩き方がいつもと違ったり、姿勢がいつもと違ったりする影響からか、何をしたってわけではなくても疲れてしまいます。とは言っても昔よりは慣れたのも事実ですので、積み重ねで疲れない時間を長くしていくしかありません。お寺に戻ってきて、まだ6年目です。中級者ぶらずに、謙虚に過ごしていきます。


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声明学園で御俗姓を学び直す

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さて前述の通り、昨日は声明学園があり、私が所属している研修科では、『御俗姓』の最後のコマが行われました。


御俗姓は、蓮如上人が書かれた御文の一つでして、報恩講の結願逮夜(最終日の前の日の1番最後の法要)で読まれるものになります。内容としては、親鸞聖人の遺徳を讃えられ、真宗門徒としての心得が記されたものになります。法善寺でも、報恩講の時にはお読みしているものになります。


個人的には、得度後に初めて出仕をする報恩講に向けて、祖父に稽古をつけてもらった記憶が残っています。あれから四半世紀経ちましたが、意外と頭の中には残っているものです。今は文明の利器に頼り切ったおかげで全然頭の中に知識が溜まっていきませんが、小さい頃はきっと記憶力が良かったんでしょう。


ただそうは言っても、改めて声明学園で稽古をつけていただくと新しい発見が結構あったりします。また、祖父からの教えが頭には残っていても実践できていない部分があったりして、やっぱり誰かに聞いていただくというのは大事なことなんだなぁと痛感いたしました。


特に、私は普段の話し言葉も早口なんですが、拝読物の時にもその悪癖が出てしまいます。『ゆっくり読む』『一定のペースで読む』と意識しながら読まないと、タタタッと駆け足になってしまいがちです。読み聞かせるものですので、聞いている人の耳に心地よく入っていくようにしないといけません。これらのことに気を配りながら、今年の報恩講ではより聞きやすい御俗姓の拝読を心掛けて参ります。


来週からは八淘念仏和讃の授業となります。原則として末寺では五淘までですので八淘は使われませんが、本山での大きな法要などに向けてお勉強はしておかなくてはいけません。引き続き頑張っていきます。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。ではこれから、明日の本山での法話に向けて最後の見直しをしてまいります。



南無阿弥陀仏

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