声明の伝承・勉強
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
本日は朝からお昼過ぎにかけて、豪雨に見舞われました。嵐と言っても過言じゃないんじゃないかと思うほどの雨で、穴が開いている長靴を履いていたので一瞬でやられてしまいました。やっぱり雨靴買います。
その雨も午後からは弱まり、夕方前には止んでいたので、夜にはランニングすることが出来ました。今日は5kmくらいですかね。やっぱり運動は気持ち良いですが、バスケがしたいです(#三井寿)。
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祖父のノート
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今日の午後、最近声明(お経などの読み方)のことで分からないことがあったので、住職である父に聞いてみました。実際に読みながら、ご指導いただきました。ありがたや。そしてその流れで、最近読み漁っている祖父の資料を広げながら一緒に話をしていました。
祖父が現役バリバリの頃(50年くらい前?)は、法善寺は真宗大谷派に属していました。『お東』と呼ばれる、京都の東本願寺を本山とする宗派です。大谷派は1万ヶ寺が属する大きな宗派ですので、その頃は声明を勉強する機会がたくさんあったらしく、また祖父もそこに関しては熱心だったので、よく勉強していたみたいです。今でもその当時の祖父のノートが残っていて、今日初めて父に見せてもらいました。もちろん手書きで、その細かさに圧倒されました。今の方がパソコンとかあって情報は溢れているはずなのに、昔の人の方が勤勉だったのでしょう。私なんかは、スマホに記憶させているので、友人の電話番号は一人も覚えていません。妻の番号ですらうろ覚えです。スマホなしで迷子になったら大変です。
そんな流れで父から、このノートと声明学園の資料をデータ化してほしいと依頼されました。父はデジタルが苦手なので私に依頼したのでしょうが、これはとても良い機会です。データ化して半永久的に保存できるうえに、私自身の勉強にもなります。結構大変な量ありますが、こつこつとやっていこうと思います。こつこつやるのは得意なんです。
実はこの依頼、父から以前にもされていたそうです。『前にも言ったと思うけど~~』と前置きされ、父はそういう記憶力は良いのでおそらく間違いないでしょう。恐るべきは全く覚えていない私の方です。今はこんなに食い付いているのに、その時はまさに右から左に話をスルーしました。家電は買いたい時が買い替え時なんて言いますが、勉強は学びたい時が学び時なんですね(#ザ・言い訳)。
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伝承の難しさ
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先ほどちらっと触れましたが、法善寺は元々大谷派に属していました。それが『お東騒動』をきっかけに独立し、後に東本願寺派が結成されて、そこに属することになりました。ですので元々は大谷派の声明を伝承していて、東本願寺派の現在でも声明作法なんかは大谷派の頃と変わっていないはずです。その名残から、法善寺で開いている声明の学校は『東京大谷声明学園』です。
ところが、やはり伝承というのは人がするものなので曖昧です。これは宗派関係ありません。人によっての表現や、教え方の妙で、時代と共に少しずつ少しずつ変わっていきます。あまり良くないことなのかもしれませんが、仕方ないことでもあります。東本願寺派も変わっていっていますし、大谷派も、祖父や父が習っていた頃(30年以上前)に比べると変わってきているそうなので、正確に伝承するという事がいかに難しいかが分かります(故意に変えていくこともありますが)。
しかし今回私がデータ化を依頼された資料は、祖父が現役バリバリの頃の声明の資料です。物によっては50年以上前の資料です。おそらく現在の声明とは違うことも書いてありますし、結局その声明は使わないかもしれませんが、それを知らずに今のお勤めするのと、それを知ったうえで今のお勤めをするのとでは雲泥の差があると思います。この機会に、上澄みだけでなく、中身までぺろりと頂いてやろうという気持ちです。
このデータ化の作業は、進めながら、このブログでもちょくちょく共有していきたいと思います。全て公開してしまうと声明学園の価値が薄まってしまうかもしれないので、『続きはwebで』的なノリで『続きは来てね』にしていきますが。
お楽しみに!
南無阿弥陀仏
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