何度も読む
こんばんは。
法善寺副住職の中山龍之介です。
本日は月曜日、本願寺学院は2月末で終わるのですが、来週の月曜日は祝日ということで、最後の『真宗史』の授業でございました。
無事にレポートを提出してきたのですが(後日このブログに載せます)、回収した際に先生が『三回は読ませていただきます』と仰っておりました。他人の書いた文章は、本意を理解するのに時間がかかるということだそうで、そんなにきちんと読んでいただけるなんて有難い限りです。偉そうに言う訳ではありませんが、書き甲斐があります。
今日改めて思いましたが、同じ文章でも何度も読み返すことはとても大切なことです。なんでも、本を一度読んだ時と二度読んだ時では、理解度は10倍変わるらしいです(3%→30%)。親鸞聖人の御師匠さんである法然上人も、『観経疏』という仏教書を5回読んで、真意に気付かれたと言われています。
そう考えると、情報収集も『広く』ではなく『深く』の方が良いと思えます。私の家の本棚に眠っている本をもう一度蘇らせて読んでみようかと思いました。
大学時代や社会人になりたての頃は、少なくとも今よりは本を読んでいた気がします。個人的に衝撃を受けたのはドラッカーの『プロフェッショナルの条件』でして、知識労働者という言葉は忘れられません。要は、昔は体を使って働いていたけれども、これからは頭を使わないとね、ということで、だからこそ学び続けなければいけないという本でした(だったような気がします)。
ただここ数年で、働き方にも大きな変化が現れました。政府が進める『働き方改革』なんてものには全く興味がありませんが、AIの出現で今までとは全く違う世界に突入していくはずです。
仏教の世界でも、ペッパー君がAI僧侶になったりしていました(最近見聞きしませんが、さすがに無くなったのかな?)。『●年後には消える職業』なんてのも発表されたりして、それが段々と現実味を帯びてきております。無人コンビニなんかが良い例です。
そういう世界で生き延びるためにはどうすれば良いのか、他人事とは思えませんので毎日考えております。
その一つの答えとして、このブログでは私や法善寺のことを書く、という結論になりました。私や法善寺でしかお届けできない情報こそが、このブログの価値だと思いますし、決してAIに真似できません(AI側から願い下げられるかもしれませんが)。
話が逸れましたが、昔読んだ本を引っ張り出してやろう、と思った一日でございました。
南無阿弥陀仏
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