仏教には世界を前に進める力がある
12/5のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は今年一番の冷え込みだったんじゃないでしょうか。外よりも寒いで有名な法善寺では暖房に頼りっきりで日中を過ごしました。廊下とかの暖房が効かないエリアは、本当に寒かったです。
建替えが済めばこの状況から脱することが出来るはずで、こういうことがあると一刻も早く建替えを進めたい気持ちになります。
ただこればっかりは思うように進むものでもなく、かつ丁寧に進めていかないといけませんので時間がかかります。来年こそは、とここ数年毎年言っている気がしますが、今回こそ最後の『来年こそは建替えスタートするぞ』と言わせていただきます。早くやりたいぞ。
===============================
仏教には世界を前に進める力がある
===============================
ここ最近、またバスケに行く機会が増えてきました。偏に、子どもたち3人を見てくれる妻のおかげで、本当に感謝です。
私自身のブランクもありますが、そもそも大したプレイヤーでもないですし、久々に行くと周りのレベルに驚いてしまいます。特に地元のチームは、上手な若手がちゃんと入ってきますので、取り残されることもしばしばです。
悔しい気持ちがないわけではないですが、これこそが健全な状況だよなぁとも思います。嫌味でもなんでもなく、動けて上手な人が、動けなくなって下手な人の席を取る、というのはとても健全です。自然な流れです。
そこに割って入りたいなら動ける体になって技術を上げなければいけなくて、それが私に実現できるかどうかはさておき、分かりやすくてとても良いです。
ただこの世界は、そうなっていないことも多々あります。いわゆる老害という言い方になると冷たくて嫌なのですが、何が何でも席に居座り続ける人がいることも事実で、新陳代謝が起こりにくい環境があったりします。
お布施の種類の一つに、床座施というものがあります。他の人に席を譲るという施しですが、これは役割やポジションを譲る、ということも含まれています。
こうやって言われると、『それも大事ですよね』と理解できるはずですが、いざ自分事となるとそれが難しかったりもします。若い人も、その席を奪い取るくらいの危害がないといけないとは思いますが、いかんせん権力が集中したりしてしまっていると、現実的には不可能だったりします。
誰が悪いのか分かりませんし、恐らく誰も悪くないとは思うのですが(みんな一人ひとりは一生懸命やっているはず)、それじゃあ世界は前に進みません。
私自身が、仏教を学んだときに抱いた感想は『仏教には世界を前に進める力がある』でしたので、その思いとともに教えを弘められればなぁと思います。お釈迦様が仏教を説かれて、ざっくり2500年ほど経っていますが、それでも時代を前に進める力があるって、改めて仏教ってすごいんですよ、と伝えたいですね。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。席を譲るのってカッコいいことのはずなんですけどね。
南無阿弥陀仏
-------------------------------------------------------------
コメント