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仏のようになれるか

11/7のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日の宣言通り、今日は新型コロナのワクチン接種をしてきました。実に4回目でして、①②はモデルナ、③④はファイザーとなりました。モデルナの時は熱が出たりと副反応があったのですが、ファイザーはほとんど副反応が無かったので、今回もファイザーにしました。今さら意味があるのかはわかりませんが、一応オミクロン対応のやつです。


今現在、接種から6時間以上が経過していますが、腕が少し痛いくらいで特に問題ありません。コロナさんにはとっとと大人しくなってて欲しいので、それに一役買えるなら何よりでございます。早くマスクの無い日常がやってきますように。


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梨泰院での事故の犯人探しを受けて

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梨泰院での事故から約10日ほどが経過しました。楽しい夜から一変、あのような形で、あれだけの方々が亡くなるというのは何とも恐ろしいことです。ご遺族や友人の方々には、改めてお悔やみ申し上げます。


私は、もちろん現場にいたわけではなく、ニュースで少し見聞きしたくらいの情報しかわかりませんが、現地やSNSでは、犯人探しのようなことが行われているようです。警察の誘導が悪かったんだとか、誰かが押したんだとか、様々な情報が行き交っています。今の世の中ですと、誰もがカメラ(スマホ)を持っていて、誰もがメディア(SNS)を持っていますので、真偽に関係なく世界中に情報が広まってしまう可能性があります。いわゆる私刑に近いことが平気で行われてしまうわけで、こっちはこっちで恐ろしいことです。


苦しみは誰にでも訪れるもので、それを誰かになすりつければ、そこでまた苦しみの連鎖が起こってしまう。僧侶としてこんなことを説いたりしますし、聞いている方々も『そりゃそうだな』と納得していらっしゃっると思いますが、いざ自分の身にそれが降りかかると、そうも冷静にはいられません。『はいはい、仕方がないよね、今回は私の番だったのね』みたいな境地には行きようがなく、『何で自分だけ?』と憤りの心を持つことは避けられません。


今回の事故でも、苦しんでいる方がたくさんいらっしゃると思います。そして、本当に何か明確な原因や犯人がいたのかもしれません。ただ、まだ多くが不明瞭な時点で、苦しみの連鎖を引き起こすようなことは、やっぱり違うはずです。


怒りは仏教においては瞋恚という煩悩の一つと呼ばれますが、この煩悩を断つことができるのは仏様だけです。我々浄土真宗においては、人間はこの身がある限りは仏にはなれないと言われています。ただ、外面だけでも仏のようになろうとすることは出来ます。『どうせ無理だから』と諦めずに、そこの努力はし続けないといけないはずです。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。改めてお悔やみ申し上げます。苦しみの中にいる方々が、1日でも早くその苦しみから抜け出せますように。



南無阿弥陀仏

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